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MasashiSalvador(在日東京人) / 茶道 / 音楽/ 映画/ 雑記

眠りの果て、退学届でなく、修士論文を提出しよう

有名な退学届けを出すブログを読んで

修士論文の代わりに退学願を提出してきた - As a Futurist...

従って,大学院に行くという選択肢は「やりたいこと」がある程度 明確な人が行くべきだし,そうでない人は仕事をして別の部分で社会還元でも しながら,じっくり探した方がいいでしょう.大学院でわざわざ お金を払って探すよりも,お金を稼ぎながらもっと貴重な体験をしながら 探した方がよっぽどお得です.22歳の頭で考えれば普通分かるはずです.

ここには完全に同意する。やりたいことが明確化しないのに進学しても無意味である(基本的には0)大学院は勉強する所ではないので、「もっと勉強したい」とかいう理由で進学するのはよろしくない。
勉強なんてやる気になればお家でできるし、やる気があるふりをしているやつはおうちでもできない

大学は専門学校ではなく,「学の府」です.自らが信ずる「ビジョン」に基づいて 世界に,歴史に,大きくても小さくてもいいので一石を投じることがミッションの はずです.僕の様な態度の学生は大学ではなく専門学校へ行くべきです. それは「優劣」という話ではなく,「適性」とか「好み」です.大学の方が 専門学校より「優れている」とか頭の中で思っている人は,それがいかに つまらないモノの見方かを自覚した方がいいです(現状の大学と専門学校がどうであれ).

ここにも同意以外の何物も感じない。

しかし、僕は修士論文を提出する

大学院は学問をするところかと聞かれればそうだと思う。ただ上で参照したブログはなんだか学問を高尚なものとして考えすぎていることに気がついた。収支2年間で僕が学んだことは、学問というのは排泄物の積み重ねであるということだ。こう書くと学問全体を貶めているように取られると思うけれど、学問や研究というのは誰かが作った野菜や肉=研究成果を食べて、消化する、それで何かを排泄・排出して次の耕作=学問という大きな流れに受け継ごうという営為であると僕は捉えている。次の耕作にとって役に立たない=堆肥にすることのできない排泄物を出すこともあるかもしれないが、それでもいいのである。勉強というのは栄養価の高い野菜やら肉やらを食べて自分の中に吸収することであり、その一方で学問の場合は排泄しなければいけないのだ。たとえそれがどんなに臭く汚いものであっても。

無臭の排泄物でも、きな臭い排泄物でも、吐気を誘うような排泄物でもいい、とにかく何かを出さなくてはいけない。
退学することは容易であるし、美味しい物を数々消費して自分の中に取り込みたいという気持ちもある。
しかし、便秘ではいけないのである。

だから、修士2年間で溜め込んだうんこをぶちまけて、それから社会に見を投じようと思う。

何処に行っても、便秘ではやっていけないように思うから。今のうちからそれを解消するために。