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MasashiSalvador(在日東京人) / 茶道 / 音楽/ 映画/ 雑記

<ヤンチャな子ら>のエスノグラフィー ヤンキーの生活世界を描き出す (8/200)

ふとツイッター上で面白そうな本を見つけたので読んでみた。東京生まれ東京育ち、どちらかと言うと東京23区のの西側で育ってきた身としては「ヤンキー」 というのはどこまでも架空の存在であるし、「ヤンキー」っぽい人というのもせいぜい実家の近所にある深沢高校の悪そうな生徒であるとか、その程度であった。 もちろん、夜な夜な渋谷に繰り出してくる悪そうな奴らというのは目撃はしていたし、僕の生活世界には存在していたのだが、本書で取り扱かわれている「ヤンキー」とは 性質がかなり違う人々であるように思える。

TL;DR;

*「ヤンチャな子ら」の中にもある種の社会的な亀裂が存在しており、同質性にばかり注目して語ることは難しい * 学校内部では学校文化の一部として統合されているが、過程の経済状況などの外部の要因によって分断されている * 意思決定や選択が文化により規定されていると言うよりは、社会関係により規定されている

目次

序 章 〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィーに向けて 1 巷にあふれる「ヤンキー語り」と調査の不在 2 〈ヤンチャな子ら〉を調査・研究する意義 3 本書の目的と独自性 4 調査の概要 5 本書の構成

第1章 ヤンキーはどのように語られてきたのか 1 若者文化としてのヤンキー 2 生徒文化としてのヤンキー 3 階層文化としてのヤンキー 4 これまでのヤンキー研究の課題 5 分析の方針

第2章 〈ヤンチャな子ら〉の学校経験――教師との関係に着目して 1 〈ヤンチャな子ら〉と教師の対立? 2 学校文化の三つのレベル 3 家庭の文化と学校文化の葛藤 4 〈ヤンチャな子ら〉と教師の相互交渉 5 教師への肯定的評価と学校からの離脱 6 〈ヤンチャな子ら〉と「現場の教授学」

第3章 〈ヤンチャな子ら〉とは誰か――〈インキャラ〉という言葉に着目して 1 集団の曖昧さ 2 類型論的アプローチを超えて 3 〈インキャラ〉という解釈枠組み 4 文脈のなかの〈インキャラ〉 5 〈インキャラ〉という解釈枠組みのゆらぎ? 6 集団の内部の階層性

第4章 「貧困家族であること」のリアリティ 1 「子ども・若者の貧困」研究における本章の位置づけ 2 「記述の実践と しての家族」という視点 3 記述の実践としての「貧困家族」 4 アイデンティティとしての家族経験

第5章 学校から労働市場へ 1 〈ヤンチャな子ら〉の仕事への移行経路 2 〈ヤンチャな子ら〉の移行経験――六人の語りから 3 移行経路と社会的ネットワーク

終 章 〈ヤンチャな子ら〉の移行過程からみえてきたこと 1 〈ヤンチャな子ら〉集団内部にある「社会的亀裂」 2 重層的な力学のなかにヤンキーを位置づけた意義 3 「ヤンキー」と括られる人々の内部に目を向けることの重要性 4 アンダークラスとしてカテゴリー化することの危険性 5 〈貧困の文化〉か、〈社会的孤立〉か 6 社会関係の編み直しに向けて

気になったところ

  • 本書で取り扱われている「ヤンキー」と呼ばれる層は学校や教師と明示的に対立しているわけではなく、学校文化と家庭文化(親からの影響の中)の間におかている。親からの影響によって肉体労働等の職業に将来の展望を見出してはおらず、同じ道を歩むことの将来性のなさも自覚しているが、学校を卒業することの意味も見いだせず、学校文化を異化することも同化することもできない状態に置かれている。そのうえで、教師が彼らのケアをしてくれることに関しては感謝をしており、その恩義にたいして報いることができないという後ろめたさが、学校から彼らを遠ざける一員になるなどしている。
  • 外部から見ると「逸脱的家族」である貧困状況などを、当事者たちは「正常な家族」であると読み替えようと試みる。家庭内暴力が存在する家庭であっても、それと併存できる形での「家族の良さ」を自認しようと試みる。家族経験は集団内でも多様であり、一つの家庭内でも多様な経験をしている。そのため、彼らは時と場合によって家族を語る語り口を変える。
  • 「社会的ネットワーク」=知人による紹介による就職などが、彼らが継続的に安定した仕事につけるかどうかの鍵を握っている
  • 貧困層には特有の文化があり、それが彼らの選択を規定しているという捉え方をするよりも。彼ら個々人が保持している社会的ネットワークに注目したほうが筋が良さそう
  • 安易にアンダークラスという語をつかってカテゴライズすることは適切でない
  • 本書に出てきた学校の先生方が行っている「ヤンキー」と呼ばれる層に対する対処(ケア)は目を見張る者があった。社会に多くの良い教員が存在することが、社会の治安や分断が底抜けに成らないする前提条件として重要なのだなと素直に感服した。

トランスヒューマニズム: 人間強化の欲望から不死の夢まで (7/200)

シンギュラリティは近いだの何だのとシャレでは言ってみたり、前の会社の社長が東洋経済の記事を見て全社の前で「AIに仕事が奪われるぞ」と宣っているのを白い目で見たりと、プログラムが人間を超える的な考え方とは一定の距離を取り続けて生きてきているわけですが、単に巷で言うAI(バズワードになりすぎていて、そろそろ死につつあるだろう)ではなく、人体の拡張であったり、人間の不死化であったり、心のデータ化、精神をネットワークにアップロードしようとする試みだったり、死を超越したり、ネットワーク越しに意識を偏在させることを可能にしたりするテクノロジーには確かに夢があるわけです。そういった人間を超えていく試みを真面目に取り扱った書籍を見つけたので読んでみようということに。

いつか訪れる約束された死の基に人が生まれてくること、そしてそれを回避しようと死を避ける少ない可能性に賭ける少数の人々の試みに感極まり少し泣いてしまった。

トランスヒューマニズム: 人間強化の欲望から不死の夢まで

トランスヒューマニズム: 人間強化の欲望から不死の夢まで

シリコンバレーを席巻する「超人化」の思想 人体冷凍保存、サイボーグ化、脳とAIの融合……。 最先端テクノロジーで人間の限界を突破しようと目論む「超人間主義(トランスヒューマニズム)」。 ムーブメントの実態に迫る衝撃リポート!

目次

  • システムクラッシュ
  • 出会い
  • 訪問
  • ひとたび自然から出てしまえば
  • シンギュラリティについてひとこと
  • トーキン・ブルース―AIによる生存リスク
  • 最初のロボットについてひとこと
  • ただのマシン
  • 生物学とそれに不満を抱く人々
  • 信仰
  • 死を解いてください
  • 永遠の命のキャンピングカー
  • 終わりと始まりについてひとこと

気になったところ

全体として、お話としては面白いし、語り口的に目の前である種の狂信者的人間が語っているような「身近さ」「リアリティ」を感じることができる書籍だった。 感情を司る神経を直接撫でられる感じがなかなかに心地よい書籍。個人的にはジャック・アタリ的なトランスヒューマンと、本書のトランスヒューマンが混ざり合う境界面を見てみたいような気がする。 テクノロジーにより極めて利他的に振る舞うことができるようになる人類。果たしてそれは幸福の運び手だろうか?

友好的なAIの開発について

友好的なAIを人類がいかに開発できるのか?という問い。AIなんてものはまだこの世に存在しないわけだけれど(それ故、ブログ著者はシンギュラリティについては懐疑的である)、アルゴリズムが人間に対して 必ずしも友好的に振る舞い続けるかどうか?に関しては世界はもう少し考えてもいいような気がした。AIの危険性に警鐘を鳴らす人たちは本書で「核兵器並みに危険性のあるテクノロジーに対して防御が少なすぎる」 と述べるのだが、「核兵器並みに危険度の高いテクノロジー」の満たすべき性質ってなんだろうと少し考えてみた。 ・使用することで大量の人の命を奪う可能性がある ・影響が時間軸に対して限定的でなく、世代を超えて脅威が伝達される可能性がある ・上記に加え、環境に対して修復不能な不可逆なダメージを与える。

マインドアップロードなどの技術に関して

Nectome社のやっている技術などの話。死ぬ前に脳を保存液に浸す保存液に浸された人は死ぬ。将来サイボーグとして復活するためにこのような手段を取るのだ。 古典ではあるがこの本などに精神転送、マインドアップロードについては記載がある。 https://www.amazon.com/Beyond-Humanity-Cyberevolution-Future-Minds/dp/1886801215 将来蘇るために未来の技術に自分を託すという選択をする人がごく少数ではあるが存在するということに少し心が震える。自分がその選択肢を提示されたとき、死を選ぶだろうか、それとも保存されうることを望むだろうか。 保存施設に保存された脳が世代を超えて守られる絵というのも神秘的である。幾重にも張り巡らされた予備電源....警備員や脳の状態をモニターするシステムにどれほどのコストが掛かるだろう?

社会運動としてのトランスヒューマニズム

トランスヒューマニスト党ではないが「国は不老不死を実現するための研究開発に投資すべきだ」という主張はあながち的外れでもないと思う。 例えば日本の悪名高い詐欺年金のような支給されない破綻した仕組みを延命するためにごまかしを重ねるより、潔く年金を廃止し、同じ量の資金を不老不死の研究に投資したほうが社会としては 健全なのではないかと思うが。どうなのだろう。

ハイエクの経済思想: 自由な社会の未来 (6/200)

ティム・オライリーWTF経済を読む前にGov2.0などの関連でハイエクの思想のベースを掴んでおこうと借りてきた本。WTF経済はsafarionlineにあったので英語で読もうとしているが、心が折れて日本語で読んでしまいそうな予感を感じている。貨幣論とか自由論を読む前に基本的な考え方とか思想の流れを掴んでおきたいよね〜というノリで読んでいます (その割に、借りてきた本が専門書であるので、著者の方には申し訳ない次第である。でも薄っぺらい新書だと嘘書いてあったりするじゃない)

ハイエクの経済思想: 自由な社会の未来像

ハイエクの経済思想: 自由な社会の未来像

一貫して自由主義者であったハイエクは、知識や情報といった概念を社会科学に採り入れ、その重要性と位置づけを論じた先駆者でもあった。今世紀にはいってから急激に進展したハイエク研究の成果とインターネットなどの技術革新や社会変動をふまえ、われわれの社会の未来像について、改めて考えてみる。

目次

Amazonに目次がなかったので割愛

そもそもハイエクって?

自由主義経済と個人主義の旗振り手。 貨幣発行自由化論では中央銀行が貨幣を発行するのではなく民間に競争させることを唱えたり、あらゆる点で個人の自由が最大化される世の中(小さな政府、規制の最小化)を目指そうと思想を構築していったことが特徴の経済思想です。冷戦終結直後に亡くなっていますので、インターネットが登場する前の経済学者ではありますが、ニューラルネット的な考え方を取り入れた「感覚秩序」のような著作があったり、インターネット(情報伝達の基盤) + ブロックチェーン(信用の基盤)により個人の自由の範囲がさらに拡大するであろう社会を予見するような思想を展開したりなど(要出典)した経済学者です。

ボランティアの技術者たちがつくったインターネットが、1990年代以降あっという間に世界に広がり、サイバースペースにグローバルな「自生的秩序」ができた。これは計画経済に対する市場経済の勝利と似た出来事だった。それは「不完全な知識にもとづいて生まれ、つねに進化を続ける秩序が、あらゆる合理的な計画をしのぐ」というハイエクの予言を証明したのである。

「不完全な知識にもとづいて生まれ、つねに進化を続ける秩序が、あらゆる合理的な計画をしのぐ」

良い学術的パンチラインですね。ハイエクの言うところの共時的知識や通時的知識が進化していくために競争は必ず社会に必要であるし、「良い競争」を担保することさえできれば政府は最小限の存在で良い。もちろん、こういう考え方には批判がつきものですし、20世紀末期と21世紀初頭で批判され議論されつくされてきた感はある。 新自由主義に対する批判は繰り返され、その中心的思想家としてハイエクは批判されてきた。 そんな中で、ネットワーク的なインフラが整備された知識社会の未来を予見した思想家として最近は再度注目が集まっている(らしい)

参考リンク

synodos.jp 5分でわかるフリードリヒ・ハイエクの「貨幣発行自由化論」| わかりやすく要約 | クリプトピックス 仮想通貨と経済を解剖するブログ
1337夜『市場・知識・自由』フリードリヒ・ハイエク|松岡正剛の千夜千冊
ikedanobuo.livedoor.biz ameblo.jp

気になったところなど

少し雑なメモ(経済の本をまとめるの難しいね)

用語

自生的秩序 =人間行為の結果ではあるが、人間的設計の結果ではなく、歴史的過程を経る中で意図せず発生したシステム

自生的秩序の中には歴史的な過程を経て残ってきたルールが蓄積されており、人びとはそうしたルールに従うことによって行動の不確実性を減じ、行動についての将来の指針を得ることで生まれながらの無知に対処している。ルールにしたがう行動をとるためには、人々が自由な状態、すなわち強制から免れている必要がある

自由に関して

自由を大別すると二通りの自由が存在する「積極的自由」と「消極的自由」だ。積極的自由とはある集団が何かをしようとする自由であり、消極的自由とは能動的に何かをしようはしない、行動の前提として存在している自由のことである。後者のほうがより状態に近そうだ。ハイエクにおける自由とは、誰もが他人の恣意的な意志の強制に服していない状態、他人の恣意的な意志により知識の利用を妨げられない状態である。なぜこの自由が大切だとハイエクが主張するかというと、個人は生まれながらに無知であり、個人も知識は不完全である。理性の力の限界に基づいた個人が根幹に想定されているからである。人間は部分的に理性に導かれ、個人の理性は極めて弱く、非合理的に振る舞う。個人の知識が集積し、集団の中で明示的もしくは暗黙的に共有されたものはある種の集団の知識となり、集団は暗黙的な知識を明示的に伝達しなくとも学べるように市場秩序などのルールを形成していく。ルールは時間を減るごとに競争にさらされ、淘汰され、適したものが残って洗練されていく(進歩主義に則るならば)集団の中の個人はルールに従うことで「うまくやる」方法を学習していく。卑近な例でいうと、中身を全く知らないが何かしらのサービスを利用し、生活上の便益を得る。などがそれに該当する。ルールの洗練により社会の知識は進化していくから、個人が不必要に制約を課されてルールに従う行動を制限されると、競争に悪影響がでうる、それは結果として社会の進歩を遅らせる。それゆえ、知識の利用に関する自由が前提となる社会が必要である。雑な理解ではこんな自由論だ。

未来社会、目指すべき社会に関して

「偉大な社会」であり「開かれた社会」に最終的には到達する。そこでは、人々は市場活動を通じて知識を伝達し、獲得し、お互いに協力していることを知らずに生活している。未来社会では、非人格的なルールが存在しており、すべての人は自分の知識を自分のために行使することが許されている。

透明性を担保した非人格的なルールの執行がプログラムによって行われる可能性は大いにあると思っていて、ハイエク的な自由な未来像はあり得るのではないかとふと思った。

世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史 (5/200)

歴史から学ぼうという機運が最近あり、各種発明が人々の世界に対する認識をどういうタイムスケールでどのように変化させたのかを知るために図書館で借りてきた本。 ちなみに書評書く書く詐欺と化しており、書評積読(なんだそりゃ)的なものが積まれ続けている。 最近思うのはまとまった移動時間があることは有意に読書時間にきよするなぁと(高校の頃は一日山手線に乗って本を読んだりしたものである)

世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史

世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史

リビア砂漠で旅人がガラスにつまずかなければ、 インターネットはなかったかもしれない。 ガリレオが教会の祭壇にみとれなければ、 正確な時間は生まれなかったかもしれない。 ネアンデルタール人が洞窟の音響効果に気づかなければ、 ジミヘンの音楽は生まれなかったかもしれない。

「ガラス」「冷たさ」「音」「清潔」「時間」「光」――。 これら6つの大発明に寄与したのは、 ガリレオエジソンといった偉人だけではない。

むしろ、名もなき市井の人びとが、 目の前にある問題に懸命に取り組むなかで 予想外に生み出されてきたのだ。

先人たちにとっての「ぜいたく品」が、 現代を生きるわれわれにとって「あたりまえのもの」になるまで、 どのような苦労があり、どんな奇跡が起きたのか――。 本書は、まったく新しい発明を切り口にした、 まったく新しい世界史の物語である。

目次

  • ◆序章 ロボット歴史学者とハチドリの羽 ハチドリの羽はどうやってデザインされたのか?/世界を読み解く「ロングズーム」
  • ◆第1章 ガラス ツタンカーメンコガネムシ/ガラスの島/グーテンベルクと眼鏡/顕微鏡からテレビへ/ガラスで編まれたインターネット/鏡とルネサンス/ハワイ島のタイムマシン/ガラスは人間を待っていた
  • ◆第2章 冷たさ ボストンの氷をカリブに運べ/氷、おがくず、空っぽの船/冷たさの価値/氷によってできた街/人工の冷たさをつくる/イヌイットの瞬間冷凍/エアコンの誕生と人口移動/冷却革命
  • ◆第3章 音 古代洞窟の歌/音をつかまえ、再生する/ベル研究所エジソン研究所/勘ちがいから生まれた真空管/真空管アンプ、大衆、ヒトラー、ジミヘン/命を救う音、終わらせる音
  • ◆第4章 清潔 汚すぎたシカゴ/ありえない衛生観念/塩素革命/清潔さとアレルギー/きれいすぎて飲めない水
  • ◆第5章 時間 ガリレオと揺れる祭壇ランプ/時間に見張られる世界/ふぞろいな時間たち/太陽より正確な原子時計/一万年の時を刻む時計
  • ◆第6章 光 鯨油ロウソク/エジソンと“魔法"の電球/“天才"への誤解/ピラミッドで見いだされた光/スラム街に希望を与えたフラッシュ/一〇〇リットルのネオン/バーコードの“殺人光線"/人工の“太陽"

  • ◆終章 タイムトラベラー 数学に魅せられた伯爵夫人/一八〇年前の“コンピューター"/隣接可能領域の新しい扉

全体を通して

世界に影響を及ぼした発明の誕生にまつわる経緯、その波及効果を読み流すだけで好奇心がくすぐられる。 今の世界の常識が短い歴史しか持っておらず、人の世はかく移ろいやすく、新奇な物は常にはじめは否定され、乗り越えたものだけが世界を変えうる。 重要な発明は一人の天才によってなされるのではなく、あくまでもあるネットワークの中で生み出されるという事実が歴史により証明される。 極めて初期の一歩は未踏で、それ故批判にさらされるが、乗り越えさせるのも発明家の気概次第だ。

章ごとに気になった箇所

序章

植物の有性生殖戦略が最終的にハチドリの羽のデザインを決める。花は花粉を昆虫に知らせ、昆虫は花から花粉を取り出して受粉させる。長い期間の共進化が、骨格構造に制限があるにもかかわらず、空中にホバリングすることができるというハチドリの飛び方を進化させた。イノベーションやアイデアが他の思わぬ分野に波及することを著者は「ハチドリ効果」と呼んでいる。グーテンベルクによる印刷の発明により人々の間に読書習慣が広まり、その結果人々が、自分たちがひどい遠視であることに気がついてメガネを買い求めるようになったり、それがレンズの生産を刺激し、最終的には顕微鏡の発明へとつながるなど。「ハチドリ効果」はあらゆるところに潜んでいる。

第1章 ガラス

ガラスはケイ素の結晶として偶然発見され、まずは装飾用途であった。ローマ帝国において、頑丈なガラスの製法が発見されて器やガラス窓に用いられ始めた。東ローマ帝国の滅亡、コンスタンティノープル陥落と同時に、優秀なガラス職人は海を渡りヴェネチア近辺に移籍することになり、現代のガラス、透明なガラスが誕生する。その後、メガネが発明され、写本をする修道僧の間で使われ始めた。庶民はメガネを全く必要としなかったが、グーテンベルクによる印刷の発明により、大衆娯楽としての文字表現(小説・ポルノ本)が広まり、人々が自分たちが遠視で有ることに気づき始め、眼鏡が爆発的に求められるようになる。 また、別の話として、鏡の発明と中流家庭への普及が、人々の自画像の捉え方を変えていった。

第2章 冷たさ

大航海時代の貿易というのは南方のものを北方へ持ち込み行為であった。お茶、スパイス、綿、サトウキビ、などなど、赤道に近い太陽のエネルギーをふんだんに吸収した土地、高エネルギー帯から高緯度地域=太陽の光の弱い低エネルギー帯への物資の還流である。しかし、氷は例外的にその逆だった。ボストン近郊の実業家フレデリック・テューダーは近くの湖から切り出してきた氷を南へ輸出しようと挑戦した。氷を船に積み、南方へと輸出するのである。当初その目論見は、熱帯地域の人々が初めて見る「冷たさ」の概念を理解できなかったため頓挫することになる。氷を世界中に売ることには失敗したが、氷により飲み物を冷やしたり食べ物を冷やしたりする習慣がアメリカ南部にも広まっていき、氷を買う=冷たさを買うという行為が一般大衆の間に広まっていくことになる。 冷たさの概念が広く受け入れられたあとは、人工的に冷たさを作り出す挑戦がはじまる。ゴリーによって真空ポンプにより冷たさが作り出せることが発見されたあと、同時多発的に「人工的に冷たさを作り出す」という考えは世界中に広まり始め、カレーにより製氷機が発明され、都市の中に共有の「冷蔵庫」的建造物が広まっていく。

地球上に波紋のように広がったこの人工冷却の特許は、イノベーションの歴史の中でもとりわけ興味深いものの事例であり、現代の学者は「多重発明」と呼ぶ。発明や科学的発見はまとまって生じる傾向がある。地理的に散らばっている数人の研究者が、たまたま独自に全く同じことを発見するのだ、ひとりの点差が他の誰も夢にも思わないアイデアを考えつくというのは、実は例外であって通例ではない。

時代は下り、イヌイットからインスピレーションを受けた瞬間冷凍のアイデアにより冷凍食品が生まれ、その後エアコンが大型ショッピングモールや娯楽施設に広まり始める。エアコンの発明は、別の発明に由来していた。湿気の多い夏にインクが滲まないようにする印刷機の改善は、印刷機の周囲の空気を冷やすという波及効果を生んでおり、労働者が、その涼しさ故に印刷機の周りでランチ休憩をとりたがるようになった。それが認知され、部屋を人工的に冷やす機構=エアコンの発明につながる。そして、第二次大戦後それは小型化され、暑すぎて人間が住むには適さなかった土地に人が住めるようになった。人口動態が変化し、そしてそれは政治にも影響を与えた。

第3章 音

音は人種、民族を問わず誰の耳にも伝達される事ができる。それゆえ、差別が今よりも遥かに横行していた時代にアフリカ系アメリカ人のセレブリティを生み出すことになる。真空管アンプの発明により、新しい政治活動が発生した。演説、大規模集会、そしてそれを悪しき目的に用いたヒトラーの台頭。

第4章 清潔

新しい概念を導入しようとすると既存勢力から強い反発を受けるということのいい例が描かれた章だった。特にそれが、生理的な感覚に紐づくものであるときに、抵抗の強さが増すように思われる。

センメルヴェルスは、ただ医師が手を洗うことを提案したから、冷笑され追放されたのではない。もし医師が同じ日の午後に分娩と死体解剖を行いたいのであれば、手を洗うべきだと提案したから、冷笑され追放されたのだ。

手を洗うこと、身体を洗うことが衛生的であるという観念はそれほど古くからあるものではない(日本においても貴族様方は身体を洗うよりも香を炊いてごまかすことに執心していた)。水道が身近でなかったというは確かに理由の1つではあるが、社会通念というのはそれほど単純ではなく、水に身体を浸すのは不健康であり危険であるという衛生観念が一般的だった。ローマ人は蒸し風呂を楽しんでいたというのに、中世ヨーロッパの貴族様たちはずいぶんと今で言う「清潔」を嫌ったらしい。

この章で最も面白いのは水道の塩素消毒に関する章だ。ニュージャージーの医師、ジョン・レアルによる給水設備の改善、水中の細菌の数が計測できるようになり、水質汚染を数値的に計測し改善のサイクルを細かく回せるようになった後の話だ。塩素、当時で言う「さらし粉」によって細菌を殺すことができることをレアルは発見したが、「薬品による殺菌という考え方が不快」という理由で当局から拒絶されることになる。しかしレアルは強い信念を持っており、当局から許可を得ずに、一般市民になんの告知もせず、貯水槽への塩素剤の投入を決定し実行した。塩素消毒が発覚した後はレアルは裁判で訴えられることになるが、毅然と自らの正しさを主張して最終的な勝利を勝ち取った。かれは塩素消毒技術の特許を取得することはせず、全米の自治体で塩素消毒は標準的手法として採用される。

第5章 時間

時計の大衆化、標準時の発展に関する章。少し薄め。

第6章 光

夜が長かった時代、電球のなかった時代、人々は長い夜を2つに分けて過ごしていた。標準的な睡眠時間が8時間とされたのは電球の発明の後の話である。エジソンがメンローパークに集めた「マッカーズ」と呼ばれる天才たちは、それぞれが独自の専門分野を持つ多国籍のチームであった。エジソンは失敗を許容し、実験を繰り返すことの重要性、そして現金ではなく株による報酬の支払いなど、チームを創造的にするための手法を多く考案した。エジソンは孤独の一人の天才ではなく、イノベーションネットワークの作り手であった。 電球の発明からフラッシュの発明、ネオンの発明、人工太陽=核融合の話へと話は展開されていく。写真のフラッシュの発明により、暗くて見えなかった貧民街に光が当たるようになり、見えないものが見えるようになったことで手が差し伸べられるようになる。最初のフラッシュが物好きな貴族さまによってギザのピラミッドの中でなされたという話は面白かった。

アゲインスト・リテラシー ─グラフィティ文化論 (4/200)

友人の家の本棚に置かれていて面白そうだなと思ったので図書館で予約をして(今年は図書館を使い倒す所存である)読んだ本。 美術批評とかその辺の読み方がわからないところもあり、流し読み気味になってしまった部分もあったが、総じて知的興奮を掻き立てられる本だった。 世の中には色々なジャンルの本があり、色々な読み方を求められるので、それこそ文脈的リテラシーが要求される。リテラシーのない自分は自分が理解しているお茶世界の文脈を利用して テキストを読み進めようと試みた。

アゲインスト・リテラシー ─グラフィティ文化論 Against Literacy: On Graffiti Culture

アゲインスト・リテラシー ─グラフィティ文化論 Against Literacy: On Graffiti Culture

いとうせいこう(作家・クリエーター)推薦! 「これはグラフィティ批評、ストリート・アート批評の決定打。いきなり前人未到! 」 本書は美術家・大山エンリコイサム初の単著であり、近年発表したグラフィティ文化やストリート・アートに関する論考を大幅に加筆し、書き下ろし原稿を加えた、日本初の本格的なグラフィティ文化論である。 第1章では、バンクシー、ホセ・パルラ、ラメルジーほか8人の作家を個別に論じる。 第2章では、20世紀初頭のアメリカからニューヨークを舞台に「落書き」の系譜を探り、100年の歴史のなかでグラフィティ文化を文脈化する。 第3章では、舞台を日本に移し、2章で示したグラフィティ文化論の知見から現代日本の諸相を考察する。 第4章では、やはり本書前半の議論を参照しつつ、1960年代ニューヨークの美術批評が取り組んだ問題を拡張的に読解し、著者自身の制作についても解説がなされる。 本書は、グラフィティ文化の入門書、批評の書であり、美術家である著者のステートメントでもある。グラフィティ文化と現代美術の接点から導出される「文脈的なリテラシー(フリード)」「感性的なリテラシー(ソンタグ)」というキーワードを手がかりに、 さまざまな文脈やリテラシーによって複雑に編成された現代の文化状況のなかで、硬直する思考に抵抗し、しなやかな感性を発揮するためのガイド。

目次

  • プロローグ 004
  • ターミノロジー 007
  • I 作家論
  • バンクシーズ・リテラシー──監視の視線から見晴らしのよい視野へ 010
  • BNE──水の透明なリテラシー 028
  • レター・レイサーズ──ラメルジー武装文字の空気力学 038
  • 絵画とスピード違反──サイ・トゥオンブリとホセ・パルラ 048
  • 誘拐と競売──ゼウスと有名性について 066
  • スウーンとストリート・アートの「新しいはじまり」 073
  • バリー・マッギーの「界面」 082
  • Obey Me──横断と支配の論理 092
  • II 都市と落書きの文化史
  • [I]前史(一八六二 ─ 一九六七) 098
  • [II]グラフィティとプロテストの落書き 120
  • [III]地下鉄の時代とそれ以降 143
  • III 現代日本との接点
  • スタイル化する シミュラークル―グラフィティ文化とオタク文化 164
  • 日本の視覚文化とライヴ・ペインティング的なもの 179
  • 匿名性の遠心力―震災から考える 192
  • IV 美術史に照らして
  • アゲインスト・リテラシー 206
  • エピローグ 242
  • 参考文献 256

各章気になった章

作家論 : バンクシーズ・リテラシー──監視の視線から見晴らしのよい視野へ

グラフィティやストリートアートを読み解いていくために必要な体系知を導入しながら、バンクシーについて語る。 元来グラフィティには、タグを拡散したい、名前を拡散したいという欲求と、発見されれば当局により拘束されるため「現れ」ては行けないという二重性が元々存在する。 元々「見られる」ことの二重性がせめぎ合っていたストリートアートが、環境管理型のテクノロジーの進歩とともに常に見られざるを得ないという一元性と対峙する必要が出てきた時に、 バンクシーはそれを見られざることを得ないことを一回引き受けることで二重性を回復するという知的トリックを利用している。 視線を巡るバンクシーの戦略は巧妙であり、壁を乗り越え越境していくこと、ある視線で知覚可能な体系から別の体系へとリテラシーを越境していく意図が垣間見える。

作家論 : 誘拐と競売──ゼウスと有名性について

有名性に関する論考が興味深かった。モデルが肉体とそのイメージに纏う匿名の多数の他者の欲望を、モデルのイメージを誘拐することで連れ去ろうとする試み。 インターネットが普及し、プロシューマー的なカルチャーが広がると共に、「有名人」というのが、固有の対象へ感情移入(有名なアーティストやモデル、俳優になりたいと憧れること)の比重が減り、データベース的に検索すべき 対象=有名性の総体としての役割、名前をみんなが知っているかどうかというレファレンスとして役割の比重が大きくなっていくと考えられるし、現に人の認識はそう変化していっているように感じる。

II 都市と落書きの文化史

都市論と絡めながらストリートカルチャーを紐解いていくのが良かった。署名の形式の変更、現実に即した意味を持つ名前から音のかっこよさや視覚的かっこよさに由来する名前への変化。 低密度な「空っぽの記号」の併存からスペースの現象に伴うオルターエゴの干渉、ゴーイングオーバー。

アゲインスト・リテラシー

文脈的リテラシーと感情的リテラシーの対比に伴う、「形式」と「様式」に関する論考が非常に面白かった。

所感: 茶の湯的文脈を持ち込みながら

お茶の文脈で捉えると、千利休の残したものが(あれは「芸術」でなく「道」なので、芸術の言葉で語ることは本来できないのだが)形式的であるのか様式的であるのかはもう少し考えてみようと思った。唐物や天目茶碗などを見せる場としての儀礼的茶から、人間中心の茶へと価値観を転倒させたこと、そのためにそれまでの美的感覚の基になっていた「格式」を一部崩したりもしたこと。それに付随する道具立てとして、作家性を配した真塗のなつめや黒楽茶碗、素焼き(絵のない)陶器など、使用する道具を形式的なものに変えていくことで茶会に関係する人間に焦点をあて、道具の茶から人間の茶への転換を試みた試み全体、そして道具立ては「様式」的である。重層的な形式化により利休的様式が立ち現れているように思う。現在の茶の湯は利休的なものは時間の流れとともに薄れてきているし、利休を理解するための文脈(文脈的リテラシー)も我々の中には乏しい、文脈的リテラシーを獲得するには座学的稽古が必要になると思うが、時間がかかる。かといって感情的に繰り返し繰り返し利休の茶を体験できるかと言われると、道具立てが難しく、少しのズレが生じただけで、あまりにも重層的な形式の上に塗り重ねられた形式=空虚な道具立てになってしまうだろう。 とはいえ、何かしらの努力をしなければ追体験は不可能なので。利休的な茶をやってみようと思うのである。

話はかなり変わるが、都市に生活する人の重心が、物理的な都市から架空的な都市=バーチャル空間へ移動すると共に、これからストリートアート的なものはどう変化していくのだろう。 TikTokinstagramが、ある意味我々にとってのストリートなのだから。

裏千家今日庵歴代 利休宗易 (3/200) @ 2019

読むスピードより読書記録を書くスピードの方がはるかに遅くなってしまっている。 買う速度 > 読む速度 > 記録を書く速度の順になっている。実行難易度の低い順でやってますね。金を払って読んだ気になる弱さ。

読書の動機

2019年はお茶の精神面であるとか歴史的側面への理解を深めようと思い立ったため、流派を問わず茶道という文化の始祖である千利休の実像に近付こうと思い立った。 利休について書かれた南方録は偽書であると言われていたり、生前に手がけたと言われる茶室が待庵しか残っていなかったり、現在の茶道で使う道具の取り合わせは実は茶道が継承される過程で別の家元によって発明されたものであったりと、現在の茶道のスタイルから直接利休の思考を読み解くことは難しいから(一度整理された資料を読んでみようという心がけである*1

裏千家今日庵歴代〈第1巻〉利休宗易

裏千家今日庵歴代〈第1巻〉利休宗易

●侘び茶を大成した茶禅一味の人、初祖利休● 千利休から十四代家元・無限斎(淡々斎)まで、裏千家今日庵の歴代を一人一冊に編集した、裏千家茶道の道統を知るシリーズ。 第一巻では、現在、三千家に受け継がれている千家茶道を大成した初祖利休宗易を取り上げます。 その生涯を茶人や大徳寺僧との交流を中心に解説し、さらに遺芳や好み道具、茶室、消息などからその美意識や茶境を偲びます。 さらに、年表や利休周辺の系図も掲載するなど、利休宗易を多角的に紹介する一冊。

目次

  • 利休とその時代 天下統一と茶の湯の隆盛……小和田哲男
  • カラー 利休の遺芳……茶道資料館
  • 利休の生涯とその道統……筒井紘一
  • 『南方録』にみる露地の思想―紹鴎と利休の節義について―……戸田勝久
  • カラー 利休の好み物……茶道資料館
  • 利休の茶道具―新たな茶道具の創造―……谷端昭夫
  • 利休居士をしのぶ 利休好 菊桐絵大棗 盛阿弥作……永井宗圭
  • 利休居士をしのぶ 利休筆 大納言宛 茶碗の文……鈴木宗幹
  • 利休の茶会記と茶の湯の変容……谷晃
  • 利休の茶室―茶の湯空間の草体化―……日向進
  • 利休の消息―自筆・右筆・写しの書―……増田孝
  • 利休と大徳寺の禅……泉田宗健
  • 高山右近と利休とキリシタン……五野井隆史
  • 利休と武将―茶人としての足跡―……竹本千鶴
  • 利休宗易年譜……今日庵文庫
  • 利休周辺系図裏千家今日庵系図

各章(気になった章)

利休の生涯とその道統

利休の生涯を史料を元に読み解きながら、何歳の頃にどういう趣向でお茶をしたか、交友関係はどうだったか等を紐解いていく章。 出自は商業都市堺の魚屋、千与四郎。10年行かないくらい茶道をやっている癖に、僕の中での茶道のイメージは「花の慶次」に現れる巨漢なので(イメージを「へうげもの」で上書きすることはできなかった。それだけ花の慶次の利休が強いキャラクターなのである)「与四郎殿〜」などと作中で呼ばれているアレである。 23歳の頃から「宗易」という法諱名(坊さんの名前?)で現れ、茶会の記録「松屋会記」に残っている。記録が残っている中では宗易としての初めの茶会であるそう。客は2名、珠光茶碗を用い、珠光の弟子である大富善幸が所持していた青磁の香炉を床に飾り、中立ちの際に香を焚いたそう。お茶会自体は、一汁三菜の懐石(正式な茶道では食事と酒が出る。空きっ腹にお茶を飲むとしんどいのでお茶を飲むために腹を満たすのである)→菓子三種→中立(飯を食った後は一旦お茶室から出る)→香を焚いて香を聞いてもらう→お茶という流れである。香りを焚くというのがポイントで、この時代の茶道ではお客さんが一旦外に出て再度お茶室に入ってからあんまり間がなく、お湯が湧くまでの間数寄雑談をして時間を稼がないと行けなかったらしいが、利休は床の間に香炉を据えて(普通は据えなかったらしい)お客さんに香りを聞いてもらうことで間をうまくとったらしい。今よりも形式が重視され、年齢による上下関係も厳しいであろう時代に二十代の若者がこうした「普通と違う」趣向を見せるのは勇気のいることだが、利休はそれを実行してお客さんを(いい意味で)驚かせている。 香炉で香を実際に焚く趣向は少々「書院」っぽすぎたようで、利休は香炉だけを飾るようになる。また、花器に関しても、花を入れずに水だけを張って飾ったりもした。「香りは想像してください」「花が入れられている様子を心の中で想像してください」という趣向らしい。若干中二病感がある点がゾワゾワするポイントであるが、同時に利休が当時はあまり床の間に掛けなかった墨跡(禅僧が書いたもの)をかけていることからも、彼が禅へ傾倒位する過程で、禅的な美意識をお茶の世界に融合していこうとしたことが伺える。当時はこういった趣向は異端であった。

利休と藪内剣仲は深い交流があったそうで、寒い日に藪内剣仲に利休が招かれた際に藪内剣仲が利休を迎えに出て顔を合わせ、利休が懐で温めていた暖を取るための香炉を藪内剣仲に渡したところ、藪内剣仲も同じように(何も示し合わせていないのに)懐で温めていた香炉を利休に渡し、利休がいたく感動したというエピソードは興味深い。現代の茶道の形式にも、ホスト側とゲスト側で物を交換するというスタイルが残っている。

利休が秀吉に切腹を命じられる前に、堺へ蟄居(京都から追い払われる)を命じられた際に、古田織部と細川三斎が利休を見送りに行ったというエピソードは有名だが、織部武家の茶道として利休の茶の湯を進化させ、細川三斎は利休への尊敬を保ち続け、利休から三斎へ送られた燈籠に春夏秋冬昼夜問わず火をともし続けるなど、利休の茶の湯を守ろうとした感が伺える。細川三斎は利休が切腹するさいに家臣ずてでメッセージを送っている。利休も三斎も墓石が燈籠らしい(知らなかった)

古田織部に関してはその後利休と同じように家康から切腹を命じられるわけだが、そのせいか利休七哲の中で最も無能と書かれていたり(千家的にはお茶を守るために織部を貶めざるを得なかった事情がありそう)なんだか散々である。いい感じの竹編みの花入れを床の間に掛けた茶会に古田織部が招かれたところ、織部は美しさに感動してテンションが上りすぎて花入れを持って返ってしまったというエピソードがあるらしい。「へうげもの」にかかれているメチャクチャな織部もあながち間違った像ではないのだ。

『南方録』にみる露地の思想―紹鴎と利休の節義について

利休が武野紹鴎流のわび茶的な要素を露地にこそ取り入れているという論考(確か)なかなか面白かった。 露地に注目してお茶を見ることは普段殆ど無い(なぜなら露地があんまりないからだ笑)

高山右近と利休とキリシタン……五野井隆史

キリスト教の清貧の思想と利休のわびの美意識がうまく合致して、右近と利休の間の深い精神的交流があったのではという論考。そもそも利休七哲の中にキリシタン大名が多いという事実に気づいていなかったが、キリスト教的な世界観とお茶の世界観が弟子を通じて若干混ざりあったというのはあながち否定できない要素に思える。右近なんかは狭く暗い茶室に籠ってマリア像に祈りを捧げていたわけなので。

所感

道具の好みの変遷、周辺の人々との交流も含めて利休の全体像をうまく紐解くための見取り図を提供してくれている感じがありがたかっった。 交友関係を鑑みるに、藪内流と三斎流と現在の裏千家のお点前に違いを見ていくと勉強になりそうだ。 利休の好み道具は禅的美意識が強く出すぎているので、利休的な道具の取り合わせはよほどうまくやらないと葬式感が出てしまいそうで、お茶会などでやるのはなかなか上級テクが必要そうだと感じた(逆に言えば、うまく取りわせることができれば極わびの空間ができあがるわけである)

茶道精進しないとな。いい本でした。

*1:とは言え淡交社から出版されているものなので、大本営感はある。おっと誰か来たみたいだ

ひとり空間の都市論 (2/200)

2019年は読んだ本の読書記録をつけることにしたので、暇を見つけては整理して書いていくことにする。 (読んだ本、記録つけないとアホなので忘れちゃうしね)

読書の動機

東京という都市に住むにあたって、都市の中でどういうものが流行し、あるいはどういうものは廃れていくのかを考える上で都市と人間の関係について知るために本書を購入。 サウナにしろムーディーなバーにしろ、常時接続でいつでも他人の目を意識しなければ行けない日常の中で「ひとり」の行動はどう変わるのか、モバイルデバイスの普及とともにそのような「ひとり」の行動がどのように変化/進化してきたかを考えるきっかけにしたいと感じた。都市に人口が集約されていくことは経済合理性の観点から世界中で不可避の流れになると思われるが、テクノロジーは人間のどういう性質を、その性質によって引き起こされるどのような問題を、どのような形で解決していくのだろうか?

概容

www.amazon.co.jp

同調圧力が強い日本社会における「ひとり」。彼らが異質な存在としてみなされる一方で、現実の日本の都市には、カプセルホテル、ひとりカラオケ、ひとり焼肉店など、ひとり客向けの商業施設が溢れかえっている。そもそも孤独と自由が背中合わせの都市生活では、「ひとり」でいることこそ、歴史的にも“正常”だったはずだ。今日ではさらに、「ひとり」が存在する空間は、モバイル・メディアの普及を受けて増殖し、新しい形態へと進化を遂げつつある。その新しい特性とは何か。「みんな・絆・コミュニティ」へと世論が傾くいま、ひとり空間の現況と可能性を、いまいちど問い直す。

目次

  • 序章 『孤独のグルメ』の都市論
  • 第1章 ひとり・ひとり空間・都市
  • 第2章 住まい―単身者とモビリティ
  • 第3章 飲食店・宿泊施設―日本的都市風景
  • 第4章 モバイル・メディア―ウォークマンからスマートフォンまで
  • 終章 都市の「ひとり空間」の行方

各章

序章 『孤独のグルメ』の都市論

  • スーツ=生産者の記号をまとった主人公が都市の機能に依存しながら、都市の中でおひとりさまで食事を堪能するある種の都市論としての「孤独のグルメ
  • 社会分業 / 遊歩者 都市と個人化にまつわる現象
  • 移動時間/スキマ時間の空間下=中間空間の台頭 / 遭遇期待値 < 検索期待値
  • 主人公の行動は、インターネットがもたらした行動様式と対極である一方で、「つぶやき」やSNSへの画像共有的な類似性も持っている
    • ゴローちゃんのつぶやき / 俯瞰で描かれた飯 = Twitter / Instagram

井の頭に見られる、都市的生活様式とは何か。それは第一に、食という行為を都市の消費空間に外部依存していること。第二に、つねに移動し続けていること。第三に、周囲の人びとから匿名性を保ち、誰からも素性を特定されることなく、周囲を観察する技法を身につけていることである。 (南後由和. ひとり空間の都市論 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.172-175). Kindle 版. )

この視点で孤独のグルメを読んだことなかった。

その住まう様々な単身者、単身者だけではなく「ひとり」が利用する場所が集約された都市。 東京は他の都市に比べても「ひとり」向けの施設が多い都市なのだろう。

第1章 ひとり・ひとり空間・都市

  • ひとりとは?
    • 数的単位 + 状態

状態とは、ある時点における、人や物事のあり様である。状態とは、一時的もしくは中長期的なものではあるが、永続的なものではない。このことから、「状態としてのひとり」とは、一定の時間、家族、学校や職場などの帰属先の集団・組織から離れて、ひとりであるあり様を指す。たとえば、家族と一緒に暮らしている人でも、自分だけの時間が欲しくて、家族から離れ、「ひとり」だけで過ごす時間は、ひとりの状態である。携帯音楽プレイヤーの音源をイヤホンで聞きながら移動し、雑踏のなかで自分だけの世界にひたる時間も、ひとりの状態だ。(南後由和. ひとり空間の都市論 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.425-430). Kindle 版. )

ルフェーヴルの空間分類

  1. 物理的な形態を伴う次元(実際の空間)
  2. 頭の中抽象的に思考される次元(設計図など)
  3. 人々が身体を介して1を「使う」「経験する」事によって2の意味を書き換え、新たな意味を付与する次元

ひとりの状態を介して経験される空間がひとり空間であり、ひとりになることによってたち現れる空間の事を言う。 ひとり空間には建築的側面(物理的空間的な特性)と「使う」・「経験する」側面が存在する。

ジンメルの論考によれば、都市の住民は変化の激しい都市から絶え間ない神経的刺激を受け続け、「都市の作法」=「都市の刺激や変化から距離を取り、没個性的で非人格的な存在として他者と接する態度」を身につけるとした。 お互いにお互いを見知らぬ他者と考えるという点では「匿名性』を持っていると言える。

こう言われると、満員電車など公共空間でスマホをいじることは刺激から距離を取るための人間の自然な行動なのだなと理解できる。 (スキマ時間を潰したいとかではなく)、歩きスマホもおそらく、あるきながらにして都市の刺激から距離を取りたいという欲求から自然に出る行動に思える。

ジンメルはお互いに「匿名である」人々がお互いを信頼に足るものとして生活を営む上で、 * 貨幣経済 * 時間的正確さの遵守 という計算可能性が大切だと論じたらしい。

同じロジックをブロックチェーンにおける、計算(可能性)による「信頼」の創出/担保という話に持っていけないのかなとふと 都市がもたらす「ひとり状態」はしがらみからの解放という「自由」をもたらしている。 「ひとり状態」は精神的な距離を取ることによって生まれる。

都市において「ひとり空間」を手に入れるためには、ゴローちゃんのように外部サービスに依存せざるを得ない。

第2章 住まい―単身者とモビリティ

  • 方丈庵 / 自分の姿を隠したまま周囲を視ることのできる空間
  • 住まいのモビリティ
  • 見せる個室への変化

    第3章 飲食店・宿泊施設―日本的都市風景

  • 個室の商業空間の増殖
  • 極小空間にみる畳の美学
    • 座具にも寝具にも使える敷物をユニット化して敷き詰めたものとしての畳
    • 日本の縮み志向の空間化

      第4章 モバイル・メディア―ウォークマンからスマートフォンまで

  • メディアを介したひとり空間
  • メディアを利用することによる「見えない仕切り」
  • スマートフォンがもたらした「ひとり空間」の変化
    • 見てほしいように見られているか不安 / SNS映え / 相互監視 / ひとりになりたいという切断志向
  • パーソナライズする / される世界
    • 私 -> 情報 < 情報 -> 私
    • 情報空間の商品化
  • 匿名性と異質性の減退
    • フィルターバブルにおる同質性
    • アーバニズムの条件としての「異質性」の減退
  • マッチング精度向上
    • 検索可能性> 遭遇可能性 ( memo : 検索可能性という意味でも同質性は高まっていると言えそうだ)
    • 浅く広い連帯感
    • たまり場の概念の変化
  • 中間空間の成長

終章 都市の「ひとり空間」の行方

  • 消費を媒介することでしかつながらなかった「ひとり」同士が「生産」に媒介された結びつきをもち「匿名的・一回性」な関係から「顕名的・持続的」な関係にシフトしうる可能性
  • スキルを持つもの / 持たざるものの格差の発生、関係は引き続きいつでも解消可能

アタマの整理

  • 「たまり場」の概念がモバイルデバイスの普及とともにどう変化してきたかは気になる
    • 良いたまり場 / 悪いたまり場
    • x 商業的 / 概念的
  • 計算可能性による匿名の人間同士の信頼性の担保という概念は面白そうなのでジンメルはよんでみようかな(と思う)
  • 茶道とからめて、極小空間としての畳にもう少し視点を向けてみよう
  • ひとり空間としてのサウナ(ぁ)