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MasashiSalvador(在日東京人) / 茶道 / 音楽/ 映画/ 雑記

<ヤンチャな子ら>のエスノグラフィー ヤンキーの生活世界を描き出す (8/200)

ふとツイッター上で面白そうな本を見つけたので読んでみた。東京生まれ東京育ち、どちらかと言うと東京23区のの西側で育ってきた身としては「ヤンキー」 というのはどこまでも架空の存在であるし、「ヤンキー」っぽい人というのもせいぜい実家の近所にある深沢高校の悪そうな生徒であるとか、その程度であった。 もちろん、夜な夜な渋谷に繰り出してくる悪そうな奴らというのは目撃はしていたし、僕の生活世界には存在していたのだが、本書で取り扱かわれている「ヤンキー」とは 性質がかなり違う人々であるように思える。

TL;DR;

*「ヤンチャな子ら」の中にもある種の社会的な亀裂が存在しており、同質性にばかり注目して語ることは難しい * 学校内部では学校文化の一部として統合されているが、過程の経済状況などの外部の要因によって分断されている * 意思決定や選択が文化により規定されていると言うよりは、社会関係により規定されている

目次

序 章 〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィーに向けて 1 巷にあふれる「ヤンキー語り」と調査の不在 2 〈ヤンチャな子ら〉を調査・研究する意義 3 本書の目的と独自性 4 調査の概要 5 本書の構成

第1章 ヤンキーはどのように語られてきたのか 1 若者文化としてのヤンキー 2 生徒文化としてのヤンキー 3 階層文化としてのヤンキー 4 これまでのヤンキー研究の課題 5 分析の方針

第2章 〈ヤンチャな子ら〉の学校経験――教師との関係に着目して 1 〈ヤンチャな子ら〉と教師の対立? 2 学校文化の三つのレベル 3 家庭の文化と学校文化の葛藤 4 〈ヤンチャな子ら〉と教師の相互交渉 5 教師への肯定的評価と学校からの離脱 6 〈ヤンチャな子ら〉と「現場の教授学」

第3章 〈ヤンチャな子ら〉とは誰か――〈インキャラ〉という言葉に着目して 1 集団の曖昧さ 2 類型論的アプローチを超えて 3 〈インキャラ〉という解釈枠組み 4 文脈のなかの〈インキャラ〉 5 〈インキャラ〉という解釈枠組みのゆらぎ? 6 集団の内部の階層性

第4章 「貧困家族であること」のリアリティ 1 「子ども・若者の貧困」研究における本章の位置づけ 2 「記述の実践と しての家族」という視点 3 記述の実践としての「貧困家族」 4 アイデンティティとしての家族経験

第5章 学校から労働市場へ 1 〈ヤンチャな子ら〉の仕事への移行経路 2 〈ヤンチャな子ら〉の移行経験――六人の語りから 3 移行経路と社会的ネットワーク

終 章 〈ヤンチャな子ら〉の移行過程からみえてきたこと 1 〈ヤンチャな子ら〉集団内部にある「社会的亀裂」 2 重層的な力学のなかにヤンキーを位置づけた意義 3 「ヤンキー」と括られる人々の内部に目を向けることの重要性 4 アンダークラスとしてカテゴリー化することの危険性 5 〈貧困の文化〉か、〈社会的孤立〉か 6 社会関係の編み直しに向けて

気になったところ

  • 本書で取り扱われている「ヤンキー」と呼ばれる層は学校や教師と明示的に対立しているわけではなく、学校文化と家庭文化(親からの影響の中)の間におかている。親からの影響によって肉体労働等の職業に将来の展望を見出してはおらず、同じ道を歩むことの将来性のなさも自覚しているが、学校を卒業することの意味も見いだせず、学校文化を異化することも同化することもできない状態に置かれている。そのうえで、教師が彼らのケアをしてくれることに関しては感謝をしており、その恩義にたいして報いることができないという後ろめたさが、学校から彼らを遠ざける一員になるなどしている。
  • 外部から見ると「逸脱的家族」である貧困状況などを、当事者たちは「正常な家族」であると読み替えようと試みる。家庭内暴力が存在する家庭であっても、それと併存できる形での「家族の良さ」を自認しようと試みる。家族経験は集団内でも多様であり、一つの家庭内でも多様な経験をしている。そのため、彼らは時と場合によって家族を語る語り口を変える。
  • 「社会的ネットワーク」=知人による紹介による就職などが、彼らが継続的に安定した仕事につけるかどうかの鍵を握っている
  • 貧困層には特有の文化があり、それが彼らの選択を規定しているという捉え方をするよりも。彼ら個々人が保持している社会的ネットワークに注目したほうが筋が良さそう
  • 安易にアンダークラスという語をつかってカテゴライズすることは適切でない
  • 本書に出てきた学校の先生方が行っている「ヤンキー」と呼ばれる層に対する対処(ケア)は目を見張る者があった。社会に多くの良い教員が存在することが、社会の治安や分断が底抜けに成らないする前提条件として重要なのだなと素直に感服した。