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坂口安吾の白痴を読んでいる。彼の書く文章の文体はこれほどのものだったかと、これまで読まなかったことを少し後悔している。しかし小説というものは読むときの自分の状態によって感想が変わるものであり、時と共に変わる自分の状態というのは数えきれないくらいある。時を遡ることはできないし、時を早くすすめることもできない。時は時であり、堂々巡りを繰り返しているのだから。だから読書に関して後悔なんてしたって仕方ないのだ。
遊ぶためなら働く。贅沢のため浪費のためなら働く。けれども私が働いてみたところでとても意に満ちる贅沢豪奢はできないから、結局私は働かないだけの話で、私の生活原理は単純明快であった。
(いずこへ より)
この部分は今のバイトしてゆるり生きられるんじゃないか?的な「働きたくない人々」の感性に似ている。飲みに行かない・クルマも買わない・クラブには行かない・金のかからない遊びをウェブ上か家でやる。ほそぼそと確実に生きる。
私は市井の屑のような飲んだくだが、後悔だけはしなかった
(いずこへ 冒頭部)
いい。後悔はしちゃいけない。時は巻き戻せないから、緩慢な死を避けるべく、鋭く着実に生きていこう。