死を思うにはまだ足りない
ゼミの読書会の課題図書になっていた
- 作者: 山田風太郎
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2011/11/02
- メディア: 文庫
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を読んでいる。なかなか面白い。まだ序盤しか読んでいないが、立て続けに人の臨終の様が現れてるだけの体験がこれほど面白いとは思わなかった。北村透谷の死に様と石川啄木の死に様が連続する辺りで一回気持ちが心の奥底で大きな波を打ち出して喉元まで妙な声が上がってきそうになったが、天下の丸ノ内線内であったのでこらえた、聞いていた曲がレディオヘッドの曲だったのもなんだか良くない要因だったのかもしれない。
帯には
死をはじめて思う。それを青春という
と書かれている。なんだかそのとおりだと思った。大学生にとっての青春が巷に溢れかえっているリア充的な何かであるという考え方にはどうにも違和感を覚えざるを得ない。あれは誰かの死というものの対局にある存在である気がしてならない。日々誰かが存在し、若さの象徴であるエネルギーを発散するし、日常を展開させていくのだ。肉体的、もしくは共にいることにより得られる共感的快楽で刺激されることで、突然の終わりや突然の停止は考えの外へと追いやられる。
ただ、本来青春とはもっと暗いもので、精神的快楽を追求するべきものではないか、誰かの死に触れ合うことは、その一途であるように感じられる。
青春というにはもう年を取りすぎている気もするし、死を思うにはまだ決定的に何かが足りない気もするのだが、とりあえず、しばらく誰かの臨終に触れ合いながら過ごそうと思う。
過ごすことと生きることってなんだか違うなと思った。