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MasashiSalvador(在日東京人) / 茶道 / 音楽/ 映画/ 雑記

三島由紀夫 美しい星

美しい星は三島由紀夫の作品の中で一番好きな作品である。話の設定、展開の突飛さを覆い隠す三島の緻密に寝られた文章・文体の美しさと、三島作品には珍しく最後に与えられる救済が特徴的である。美しさを含む超越的なものを論理的に語ろうと試み、社会と個人とを接続する媒介、超越的なものと私をつなぐ媒介に読者の思考が自然と向くように構成された小説である。

美しい星 (新潮文庫)

美しい星 (新潮文庫)


美しい星 | フェスティバル/トーキョー FESTIVAL/TOKYO トーキョー発、舞台芸術の祭典
潮文庫の裏のあらすじにはこう書かれている。

地球とは別の天体から飛来した宇宙人であるという意識に目覚めた一家を中心に、核兵器を持った人類の滅亡をめぐる現代的な不安を、SF的技法を駆使してアレゴリカルに描き、大きな反響を読んだ作品。著者は、一家を自在に動かし、政治、文明、思想、そして人類までを著者の宇宙に引きこもうとする。著者の抱く人類の運命に関する洞察と痛烈な現代批判に満ちた異色の思想小説である。

この裏のあらすじだけで文庫本を手にとってレジに運んでもいいくらいである。

実際はUFOを見たと信じ、かつ自分が宇宙人であることを最初から真に信じているのは一人だけである。それは父、重一郎であり、彼にとって生活と人類の滅亡、人類の危機は一直線に接続している。他の家族は、一人は美と純潔というものを信じ、一人は政治性に心惹かれ、一人はもっと人間的な、家族の団欒であるとか、台所の守護者としての矜持であるとか、もっともっと人間的な、家族愛であるとか自然の美しさを信じている。原作を読むと、三島の格調高い文体に飲み込まれるようにして異様な作品の設定を受け入れることができるが、セリフの一つ一つは読み手として見ると信じるものの狂気に満ち溢れており、極めて矮小な妬みから女性蔑視、「まとも」な側の警察官の発言まで、思わず笑いがこみ上げてしまう。登場人物は宇宙人として、もしくは各々が信じ手として高らかに高尚な概念について語るが、もう片方では非常に人間的な、非常に生活に近いレベルの話を繰り広げる。中間が存在しないのだ。
それを作品が成り立つぎりぎりのところでまとめあげている三島由紀夫には感服してしまう。

芝居の方は、そんな作品を成立させているはずの三島由紀夫の文章、特に地の文を引き剥がしてしまう。何度か訪れる中断、観客とは別の鑑賞者、狂信的に読み上げられるセリフ、ああ、これは狂騒劇であったか、人類の滅亡だとか存続だとか、核兵器だとかそういった高尚な話題を高らかに語る狂信者たちの物語であったかと繰り返し自覚させられる。
作品のクライマックスである、宇宙人同士の対決の場面も、良い方向に冷めているように思える。場面は刺激的だが、小説であれば我を忘れて没頭するほどの部分を、観客として冷めた目で見つめることになる。人類・宇宙・核兵器・政治・美など、超越的なもの、抽象的なものと自分をつなぐ不確かな媒介は何であるかが判らなくなる。
それでも僕らは超越的なものについて語ることをやめないし、やめる訳にはいかない。パンだけでは人は生きていけないからだ。信じる理由はなくとも、信じざるを得ない。

芝居はゴドーとうまい具合に接続し、非日常的狂騒劇と現実が少しづつ重なり、寒空の下エピローグによって、完全に現実へと引き戻され、帰路へ。
「彼ら」にとって待つべきものが到来する/しないことは、「私」にとっての待つべきものが到来する/しないことと大きく隔てられている。あちら側では真実は真実であり、こちら側では真実は真実である。