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MasashiSalvador(在日東京人) / 茶道 / 音楽/ 映画/ 雑記

裏千家今日庵歴代 利休宗易 (3/200) @ 2019

読むスピードより読書記録を書くスピードの方がはるかに遅くなってしまっている。 買う速度 > 読む速度 > 記録を書く速度の順になっている。実行難易度の低い順でやってますね。金を払って読んだ気になる弱さ。

読書の動機

2019年はお茶の精神面であるとか歴史的側面への理解を深めようと思い立ったため、流派を問わず茶道という文化の始祖である千利休の実像に近付こうと思い立った。 利休について書かれた南方録は偽書であると言われていたり、生前に手がけたと言われる茶室が待庵しか残っていなかったり、現在の茶道で使う道具の取り合わせは実は茶道が継承される過程で別の家元によって発明されたものであったりと、現在の茶道のスタイルから直接利休の思考を読み解くことは難しいから(一度整理された資料を読んでみようという心がけである*1

裏千家今日庵歴代〈第1巻〉利休宗易

裏千家今日庵歴代〈第1巻〉利休宗易

●侘び茶を大成した茶禅一味の人、初祖利休● 千利休から十四代家元・無限斎(淡々斎)まで、裏千家今日庵の歴代を一人一冊に編集した、裏千家茶道の道統を知るシリーズ。 第一巻では、現在、三千家に受け継がれている千家茶道を大成した初祖利休宗易を取り上げます。 その生涯を茶人や大徳寺僧との交流を中心に解説し、さらに遺芳や好み道具、茶室、消息などからその美意識や茶境を偲びます。 さらに、年表や利休周辺の系図も掲載するなど、利休宗易を多角的に紹介する一冊。

目次

  • 利休とその時代 天下統一と茶の湯の隆盛……小和田哲男
  • カラー 利休の遺芳……茶道資料館
  • 利休の生涯とその道統……筒井紘一
  • 『南方録』にみる露地の思想―紹鴎と利休の節義について―……戸田勝久
  • カラー 利休の好み物……茶道資料館
  • 利休の茶道具―新たな茶道具の創造―……谷端昭夫
  • 利休居士をしのぶ 利休好 菊桐絵大棗 盛阿弥作……永井宗圭
  • 利休居士をしのぶ 利休筆 大納言宛 茶碗の文……鈴木宗幹
  • 利休の茶会記と茶の湯の変容……谷晃
  • 利休の茶室―茶の湯空間の草体化―……日向進
  • 利休の消息―自筆・右筆・写しの書―……増田孝
  • 利休と大徳寺の禅……泉田宗健
  • 高山右近と利休とキリシタン……五野井隆史
  • 利休と武将―茶人としての足跡―……竹本千鶴
  • 利休宗易年譜……今日庵文庫
  • 利休周辺系図裏千家今日庵系図

各章(気になった章)

利休の生涯とその道統

利休の生涯を史料を元に読み解きながら、何歳の頃にどういう趣向でお茶をしたか、交友関係はどうだったか等を紐解いていく章。 出自は商業都市堺の魚屋、千与四郎。10年行かないくらい茶道をやっている癖に、僕の中での茶道のイメージは「花の慶次」に現れる巨漢なので(イメージを「へうげもの」で上書きすることはできなかった。それだけ花の慶次の利休が強いキャラクターなのである)「与四郎殿〜」などと作中で呼ばれているアレである。 23歳の頃から「宗易」という法諱名(坊さんの名前?)で現れ、茶会の記録「松屋会記」に残っている。記録が残っている中では宗易としての初めの茶会であるそう。客は2名、珠光茶碗を用い、珠光の弟子である大富善幸が所持していた青磁の香炉を床に飾り、中立ちの際に香を焚いたそう。お茶会自体は、一汁三菜の懐石(正式な茶道では食事と酒が出る。空きっ腹にお茶を飲むとしんどいのでお茶を飲むために腹を満たすのである)→菓子三種→中立(飯を食った後は一旦お茶室から出る)→香を焚いて香を聞いてもらう→お茶という流れである。香りを焚くというのがポイントで、この時代の茶道ではお客さんが一旦外に出て再度お茶室に入ってからあんまり間がなく、お湯が湧くまでの間数寄雑談をして時間を稼がないと行けなかったらしいが、利休は床の間に香炉を据えて(普通は据えなかったらしい)お客さんに香りを聞いてもらうことで間をうまくとったらしい。今よりも形式が重視され、年齢による上下関係も厳しいであろう時代に二十代の若者がこうした「普通と違う」趣向を見せるのは勇気のいることだが、利休はそれを実行してお客さんを(いい意味で)驚かせている。 香炉で香を実際に焚く趣向は少々「書院」っぽすぎたようで、利休は香炉だけを飾るようになる。また、花器に関しても、花を入れずに水だけを張って飾ったりもした。「香りは想像してください」「花が入れられている様子を心の中で想像してください」という趣向らしい。若干中二病感がある点がゾワゾワするポイントであるが、同時に利休が当時はあまり床の間に掛けなかった墨跡(禅僧が書いたもの)をかけていることからも、彼が禅へ傾倒位する過程で、禅的な美意識をお茶の世界に融合していこうとしたことが伺える。当時はこういった趣向は異端であった。

利休と藪内剣仲は深い交流があったそうで、寒い日に藪内剣仲に利休が招かれた際に藪内剣仲が利休を迎えに出て顔を合わせ、利休が懐で温めていた暖を取るための香炉を藪内剣仲に渡したところ、藪内剣仲も同じように(何も示し合わせていないのに)懐で温めていた香炉を利休に渡し、利休がいたく感動したというエピソードは興味深い。現代の茶道の形式にも、ホスト側とゲスト側で物を交換するというスタイルが残っている。

利休が秀吉に切腹を命じられる前に、堺へ蟄居(京都から追い払われる)を命じられた際に、古田織部と細川三斎が利休を見送りに行ったというエピソードは有名だが、織部武家の茶道として利休の茶の湯を進化させ、細川三斎は利休への尊敬を保ち続け、利休から三斎へ送られた燈籠に春夏秋冬昼夜問わず火をともし続けるなど、利休の茶の湯を守ろうとした感が伺える。細川三斎は利休が切腹するさいに家臣ずてでメッセージを送っている。利休も三斎も墓石が燈籠らしい(知らなかった)

古田織部に関してはその後利休と同じように家康から切腹を命じられるわけだが、そのせいか利休七哲の中で最も無能と書かれていたり(千家的にはお茶を守るために織部を貶めざるを得なかった事情がありそう)なんだか散々である。いい感じの竹編みの花入れを床の間に掛けた茶会に古田織部が招かれたところ、織部は美しさに感動してテンションが上りすぎて花入れを持って返ってしまったというエピソードがあるらしい。「へうげもの」にかかれているメチャクチャな織部もあながち間違った像ではないのだ。

『南方録』にみる露地の思想―紹鴎と利休の節義について

利休が武野紹鴎流のわび茶的な要素を露地にこそ取り入れているという論考(確か)なかなか面白かった。 露地に注目してお茶を見ることは普段殆ど無い(なぜなら露地があんまりないからだ笑)

高山右近と利休とキリシタン……五野井隆史

キリスト教の清貧の思想と利休のわびの美意識がうまく合致して、右近と利休の間の深い精神的交流があったのではという論考。そもそも利休七哲の中にキリシタン大名が多いという事実に気づいていなかったが、キリスト教的な世界観とお茶の世界観が弟子を通じて若干混ざりあったというのはあながち否定できない要素に思える。右近なんかは狭く暗い茶室に籠ってマリア像に祈りを捧げていたわけなので。

所感

道具の好みの変遷、周辺の人々との交流も含めて利休の全体像をうまく紐解くための見取り図を提供してくれている感じがありがたかっった。 交友関係を鑑みるに、藪内流と三斎流と現在の裏千家のお点前に違いを見ていくと勉強になりそうだ。 利休の好み道具は禅的美意識が強く出すぎているので、利休的な道具の取り合わせはよほどうまくやらないと葬式感が出てしまいそうで、お茶会などでやるのはなかなか上級テクが必要そうだと感じた(逆に言えば、うまく取りわせることができれば極わびの空間ができあがるわけである)

茶道精進しないとな。いい本でした。

*1:とは言え淡交社から出版されているものなので、大本営感はある。おっと誰か来たみたいだ