AllisPossibleIfOnedesires

MasashiSalvador(在日東京人) / 茶道 / 音楽/ 映画/ 雑記

ファクトフルネス (1/200) @ 2019

2019年は生きるため呼吸をするように何かを書き残していく年間にしたいので、ブログを再開することにする。 日本語訳が出る前に英語で読もうと思い意気込んでいたが、結局日本語で読んでしまった本書

本の概容

https://www.amazon.co.jp/dp/B07LG7TG5Nwww.amazon.co.jp

ファクトフルネスとは――データや事実にもとづき、世界を読み解く習慣。賢い人ほどとらわれる10の思い込みから解放されれば、癒され、世界を正しく見るスキルが身につく。 世界を正しく見る、誰もが身につけておくべき習慣でありスキル、「ファクトフルネス」を解説しよう。

世界で100万部の大ベストセラー! 40カ国で発行予定の話題作、待望の日本上陸

ビル・ゲイツバラク・オバマアメリカ大統領も大絶賛! 「名作中の名作。世界を正しく見るために欠かせない一冊だ」―ビル・ゲイツ 「思い込みではなく、事実をもとに行動すれば、人類はもっと前に進める。そんな希望を抱かせてくれる本」―バラク・オバマアメリカ大統領

特にビル・ゲイツは、2018年にアメリカの大学を卒業した学生のうち、希望者全員にこの本をプレゼントしたほど。

3行で書くと

  • よくある思い込みの類型を実例と共に紹介し、数字を元に正しく世界を捉えることの需要さを説く
    • 思い込みがあることで、ランダムに問いかけに回答するチンパンジーよりも正解できない状態になる(「チンパンジーよりも正解できない」という例を著者がよく用いる
  • 世界が確実に前進し良くなっていること、根拠のない恐怖は退治するべきであることを説く
  • 「ファクトフルネス」を習慣化するためにどうすればいいかの方法論を紹介する

各章概容

1章:分断本能

  • 「先進国」「途上国」の間に大きな断絶が存在すると勘違いしがち(一方では幸せな暮らし、もう一方では圧倒的に生活が貧しいなど)
  • 大体の人々は中間的な生活をしている(4段階に所得レベルを分類すると、最低レベルの人口は全体の1/7、200年前は全体の85%だった)
  • ドラマチックな本能(分断されたセグメント同士が対立していたりするとより認識が歪む)
  • 本能を刺激する話は、わかりやすく伝わりやすい
  • (個人的な感想)サービス開発において、ヘビーユーザと超ライトユーザの二項対立ばかりを念頭に置いてしまったりすると危険な気がする
  • 「平均の比較への注意」・「極端な数字の比較に注意」・「上からの景色による抽象化に注意」

2章:ネガティブ本能

  • 「世界はどんどん悪くなっている」と思い込みがち
  • 減り続けている16の悪いこと(with 件数の年次変化のグラフ)
    * 合法的な奴隷制度 / 石油流出事故 / HIV感染 / 高価なソーラーパネル / 乳幼児の死亡率 / 戦死者数 / 有鉛ガソリン / 死刑制度がある国の数(これは悪いことなのか)
    * 飛行機事故の死者数 / 大気汚染 / 天然痘 / オゾン層の破壊 / 飢餓 / 核兵器 / 大気汚染
    
  • 増え続けている16の良いこと
    • 新しい映画 / 女子教育 / 電気の利用 / 絶滅危惧種保全 / 携帯電話 / 安全な飲料水 / インターネット / 予防接種
    • etc
  • 考えずに感じているだけだと、ネガティブな報道とかによって「課題が山ほどある」と認識してしまう。
  • 「悪い」と「良くなっている」が両立しないと勘違いしやすい
  • 良い出来事のほうがニュースになりずらい
  • ゆっくりとした進歩はニュースになりづらい
  • 悪いニュースが増える != 悪い出来事が増える
  • 過去は美化されやすい

3章: 直線本能

  • 予測を直線的にしてしまいがち
  • 増加も減少もいつかはサチる(平衡状態に達する)
  • 見えているのがグラフの土の部分なのか、横軸の変化とともに縦軸がどうなるかを冷静に判断する

4章: 恐怖本能

  • 生活水準がレベル4の国では、テロによる者数は減っている
    • (個人メモ)水準が低い国ほどテロにさらされているとしたら、「虐殺器官」的な分断感がある
  • 恐怖 != 危険
  • リスクも質と量の掛け算で決まる

5章: 過大視本能

  • 比較と比率計算(割合で考える)で過大視を防ぐ
  • 方法論としての80:20ルール
    • 全体の8割を占めるものは何か
  • ひとりあたり○○で考える
    • (個人メモ)一人あたりGDPで見ると日本が貧しいという話を思い出した。
  • 比較の軸
    • 比べるべき数字はなにか
    • 経年変化
    • 割り算の基準(ひとりあたり)
    • 地域性があるのかどうか?

6章: パターン化本能

  • 1つの例が全てに当てはまるという思い込み
  • ステレオタイプ的なやつ
    • 分断本能 -> 「私達」vs「あの人達」 => 「あの人達はこう」というステレオタイプ(認識違いのコンボ)
  • 自分の中にある分類に注意する
    • 同じ集団の中の違い / 過半数への注意 / 自分が「普通」だと決めつけないこと / 一つのグループを他のグループに当てはめていないか気をつける / 同じ集団の中の違い vs 違う集団の中の共通点
  • 理由を見出す
    • なぜ家が立てかけのほうが合理的なのか

7章 :宿命本能

  • 「変わらない」という思い込み
  • ゆっくりした変化(見えづらい)でも少しずつ変わっているということを意識する
  • 小さな進歩を追いかける
  • 文化が変わった例を集める(昔から変わらないといわれたら、反例をあげてみる)

8章: 単純化本能

  • 子供にトンカチをもたせると、なんでも釘に見える
  • 専門知識が邪魔をして、実際に効果のある解決策が見えなくなる
  • 一つの視点だけでは世界を理解できない
  • 何でもかんでもトンカチで叩くのをやめる
  • ✗知ったかぶり
  • 単純なものの見方を警戒する
  • 自分の考え方を検証する

9章: 犯人探し本能

  • 誰かが見せしめとばかりに責められていたら、それに気づくほうが良い
  • 犯人でなく、原因を探す
  • ヒーローでなく、システム(社会を機能させている仕組み)にめを向ける

10章: 焦り本能

  • ほうっておくと大変なことになる、と過剰に反応しない

感想

プロダクトマネージャー的に自分が働いていたときのことを思い出しながら読むことで、正直かなり耳が痛い部分が多かった。宿命本能、分断本能、焦り本能とかはサービス運営をしていると陥りがちじゃないかな。 本書をプロダクト開発版にするだけで相当面白い書籍が書ける気がしている。もちろん、経営であるとかチーム運営上は「焦ること」であるとか「類型化して考えること」は非常に大切なことなのだが、行き過ぎると現実が見えなくなる。何かを捉える上で難しいのは、時間軸を事実に基づいて捉えることだと感じた。2,3,10年スケールのことを自分のこととして捉えること、小さな変化が物事の改善を進めていくが、それがいつサチるのか、一年続くとどう世界が改善するのか、時間の軸が自分が想像できる範囲からずれると一気に思考が固まってしまいがちだし、ドラマチックな分断本能に身を任せてしまいがちである。 (自分の小ささを自覚する瞬間でもある)

2017年の振り返りと2018年について

2017年の振り返り

技術目 / お仕事面

  • スタートアップしてた
    • ユーザインタビュー / リーンスタートアップ的な手法をトライしまくった
    • React使ってひたすらSPA作りしてました。
  • フリーランスしてました
    • デザイン作ったりしてました
    • Rails書いてました
    • 何故かマネジメントしてました
    • 何故か技術戦略考えてました
  • 某社へ

スタートアップをやっていたものの、諸般の事情により辞めたのが昨年の一番の動きでしょうか。 - 適切にユーザの課題を捉えること - 問題の存在証明 - 問題のペインポイントの重み付け - 解決の優先度付 - ビジネス上のインパクトの見積もり - マーケットへの入り方の戦略を考える - 誰からカネをもらってどこに価値を届けるか - 競合に対して不平等なくらい有利な立場に立てるか - 問題を解決するとは?

この辺考え続けながらコードをひたすら書いたり、ひたすら実際ユーザに会ったりしてました。 PSFとPMFをひたすら考えながら、プロダクト改善をやり続けていくというのが スタートアップをやることとイコールであるなと。 逆に、これをやらない人とはやりたくないという感想。 ・自分の頭の中の仮説が正しいのかを常に検証し続けられるかどうか この検証回数の多い少ないで正しい方向を向けるかどうかが決まる。 正しい方向を向けなければ社会に無価値を生み出すことしかできない。

検証回数が少なければ、改善回数も必然的に少なくなるので、勝つ確率は限りなく低くなる。

技術面以外

  • 英語を仕事で使いました
  • 中国語をやっています

小説

人に関する描写、舞台設定に関する描写について少し気を使ってかけるようになったかな?という感じ。 下記続けることでしか物語を生み出すことはできないと思うので、今年は文学賞応募ドリブン執筆で沢山の物語を生み出したい。 (そして、昔から書いている長編にケリを付けて、リライトに入りたい)

2018年目標

技術面の定量的目標設定 - 9登壇 二月に一回以上は登壇する
- ジャンルはブロックチェーンとGo+ウェブフロントエンド
- OSSへのコントリビュート増やすお
- 技術戦略 / 経営戦略 / 財務 この辺基本レベルで考える力をつけるよ
- デザインイケてる!と twitterで言ってもらえるくらいのデザインイケてるプロダクト2本くらいリリースするよ!

  • 文学賞 4作品くらい応募したい  季節ごとに1つ?秋口に多いので戦略立案中
  • 毎日書く

    • noteの連載頻度をあげます
  • HSK4級とるぞ

  • 英語の技術ブログを適当に始める

今年も前に進むためにガンバリマス。

今年の抱負は不動心

糞映画を見てしまったので感想を書いておく 「ぼくらの亡命」

★1つを迷わずにつけたくなるような糞映画を見たのは久しぶりだ。ただでさえ少ない観客の1人が途中で帰っていったのも含めてエンターテイメントだった。 平たく言って、控えめに言ってカネを払う価値はない。 見始めた映画のサンクコストという同しようもない概念が浮上するレベルの映画だった。

ourescape.makotoyacoltd.jp

eiga.com

何故そんな糞映画を率先して(公開日に)見に行ったのか?と問われると答えにつまる。たまたまtwitterで見かけて見にいきたくなったから。としか答えられない。

作中のホームレスが(何らかの理由で社会から疎外され)変な(自分を利用した男を刺してしまう)女と北海道だか何処かに逃げ、何故か(女の祖父の出身だかなんだかである)国後島 を目指す、という話だが、終始テーマがハッキリしない。 国後島や何らかのデモ@新宿の映像を持ち出して国家というものを意識させつつも、男女が逃げることになった理由とは全く関係しない。 登場人物たちが国家に依って不条理に疎外されているのであれば持ち出す意味のもあるし、表現としては理解できなくもないが。謎である。意図が見えない。

そもそも、ホームレスだの引きこもりだのというのはそういう状況に至っている個々人に個々人特有のそれなりの重さのストーリーが存在しているはずであり。 悪い状況に置かれている=可哀想=その人の外部にある何者かが端的に悪いという枠組みでは描けないはずである。 小学生の作文とか、悪い状況に置かれている個々人の思いの表出としてだけそういう枠組みは許される。 映画を描く人間、演じる役者、それを見る観客が単純な枠組みに乗っかるとすれば、端的に言って「幼稚」である。 僕がそういう捉え方をしている前提で話をすすめると、この映画の登場人物たちの背景については非常に断片的にしか描かれない。 (何らかの理由で父をなくしてホームレスになっている、程度のことしかわからない) 断片的にしか描かれない故に、男が女に行為を持つ理由も全くわからない。必然性がない。なぜその人なのか?という点で、理解ができない。 「女性と関係を持ったことがないから、たまたま出会ったある人に自分でもわからないくらいの好意を抱いてしまう」 位の背景で男の女に対する愛が描かれる。その描き方は苦痛以外の何物でもない。なぜなら登場人物の背景にねざさない。監督だか脚本だかの一方的な価値観の押し付けだからだ。 弱者を描くくせに物語を描かず、一方的な価値観の押し付けに終止する。 それは弱者をある意味食い物にして、自分の表現を行っているということになり、最低だ。吐き気がする。 演じている役者も含め、こんな表現に関係した全ての人間の神経を疑う。 こういう表現もある。とかそういうレベルではない。

表層上の同一性が担保されているせいで明示的な「疎外」の表現が弱い日本だからこそこういう「創造力の欠如」がまかり通るのかもしれない。 この作品が公開された事自体が一種の問題提起である。

そしてそれ以外の価値はまったくない。 クソ。

クソであることを書かないと溜飲を下げることができないぐらいひどかった。

2015年振り返り

簡単なまとめ

2015年、自分にとってはいろいろなことがあった年だった。前半の半年は迷走の極み、モチベーション低下の極みで、後半で何だかんだ成長できたと思うので、自分の進捗としてはマイナスになってはいないかなと思う今日この頃。 転職x2、まさか今の職場に自分がいるなんて去年の1月には全く思っていなかった。 エンジニアとしての迷走が引き金となった転職であったし、そこから学んだことも大きかった。 エンジニアって技術面だけじゃないなと(特に)思い知らされた1年であったし、それを踏まえた上でキャリアを考える大きなきっかけになったように思う。

転職その1までの流れ + 雑感

思い立ったように2月に退職することを決めた。3/14(か3/11)を最終出社日として、ぼくはDeという会社を辞めることに。 なんだろう、自分的にはあまり多くの転職理由を覚えていない(それだけ薄っぺらかったのかもしれない)なにせメモすら残っていない。 書きながら思い出せる範囲で強いて言うなら下記であろうか

  • ソーシャルゲーム開発への疲れ
  • キャリアを考えたときにゲームを作り続けたくはない
  • Modernな開発体制で開発したい
  • 0 -> 1で開発体制を整えてみたい(確立された工場で働くことへの疲れ)

これといって理由は思い浮かばない。所属していたチームは素晴らしく開発のしやすいチームだった。積極的に生み出そうとしなければデスマーチも起こらないチームで、企画者も周りのエンジニアも意欲が高くて日々楽しく過ごせるチームであった。ではなぜやめたんだという話にもちろんなってしかるべきだが、わりと勢いでやめてしまったところがあるので、今になるとあまり思い出せないのが実情だ。 しかし、一つ言えるのは、自分にとって事業ドメインがわりと大切だったということだろうか。

  • 「ガチャのこの演出が気持ちいい」
  • 「しがらみ要素が大切」

とか言われても??となる状態では開発していても楽しいものじゃない。理解不能なものの相手をするのはそれなりに疲れるし、時間的コストがかかる。理解している振りをしているのも気味が悪いし、居心地も悪い。ゲーム作りにおいては、ユーザは実利でなくて体験だけを求めてきているのだから、 本当の本当にUXが大切で、それ故、施策設計等は本当に頭を使うことであり刺激的で、勉強になるのは認めよう。 しかし、いかんせん根本のところの感情が理解できないようではどうしようもなかった。

「じゃあお前、理解できないものは作れないのか?想像力が足りないんじゃないの?」

と言われればある程度それは当たっていると思う。人間、想像力には限界があるし、個人のレベルでは想像できないものは作れないのだ。インドのストリートチルドレン向けのサービスが作れるだろうか?アフリカの女性向けのサービスが作れるだろうか。作れないだろう。それは問題や課題が血肉化されていないからで、想像力が到底及ばないからだ。 問題や課題を血肉化するためにはある程度の体験が必要であり、我らがソーシャルゲーム開発においては実際にゲームをプレイすることになるわけだが、これが際限なく時間と金を使う作業である。そのプロセスをうまく踏めなかったというのが大きいだろうか。 書いていて思ったがこの辺りの話は非常に難しい。

「やりたくなくても金もらってるんだからやれよ」

という話もあるし

「地道に金と時間を使う努力をしなければ成長はない」

とかそういう話もあると思う。ぼくの答えとしては「今はやりたくない」これに尽きる。

もう一つ、ある程度名のある組織に居続けることが自分の生き方に合わないような気がした。それが思い切りの良さ(結果的には大失敗だったが) につながったと思う。Deという会社は組織として良いところも悪いところも今思えばたくさんあったと思うし、それでも最高の職場だったと思う。 今の自分が戻ったらもっと視野を広げて働くことができると思う。ただ、今じゃない。 色々と勉強させてもらった同期と諸先輩方には感謝の気持ちしかありません(Hさん, Tさん, Hさん、Tさん、Tくん、Sくん、Gさん、Uさん、Kくん、ありがとうございました)

転職その1後の日々

わりと黒歴史としたい転職その1後の日々だ。はっきり言ってクズ以下の生活をしていたということに尽きる。

  • 小さい会社=属人性の高い組織なので、組織の属性は大きく人に依存する(特に経営陣?)
  • 変化への柔軟性が大きく人に依存する
  • 学生ベンチャー上がりで受託を経験している会社は危険 = プロの仕事ができない / 労働集約型になりがち
  • 価格以外の差別化ができるのか否かは非常に大切 = 技術的な優位性がどれくらいあるか
  • 会社の空気感も圧倒的に人(だけ)が決める。
  • プライドが高い(すぎる)連中と付き合うのは時間の無駄
  • 学歴の話とか「〜大だからちょっとあれでしょ」みたいな話がでる時点でかなりやばい
  • 手柄のとりあいみたいになっているチームはやばい = 「だれが案件とってきてるんだっけ?」みたいな
  • クソコードは増え続けると手に負えなくなる = 基本のキがわかってない巨大なコードベースから放たれる瘴気はやばい
  • Railsって(クソでもウェブアプリ作れちゃうから)最高だし最低だ
  • データを扱うならデータそのものもデータを処理するコードもまともに管理できないと死が待ってる
  • 外国人を納得させるのはけっこう大変
  • 他社システム由来のデータを使って解析し、結果を他社システムに組み込むのって本当に大変(ネゴがめんどい)

まあ今になるとネガティブな発言ばかりでてしまいますが...、小さい組織で働くのは本当に大変だなと。

手伝っている会社の成長

festyという友達がやっているサービスを手伝っています。 festy.jp 創業者はGREEの同期同士の二人、副社長が高校の同期の会社です。創業くらいのタイミングから手伝わせてもらっています。 創業メンバーの成長や組織としての成長、ピボットも含めたサービスの方向性の転換など色々なことが起こるのを見てきました。スタートアップするのは大変なんだなと思いながら、2015年5月くらいからWebで伸ばしていく方針に大きく転換をして(アプリをクローズし...)グングンとPV数が成長し始めました。 僕はGoogle Analyticsを見る権限もいただいているので、週次でサービスが成長して行っているのを数字で見ることができました。 PVという非常にナイーブな形式ですが、ユーザの動きが実際に見えるというのは何にも代えがたい喜びでした。festyの成長を見ることで「やっぱり腐っていてはダメだ、ユーザの動きと真っ向勝負できる現場に早く立ち戻らないと未来がなくなる」と感じて、2社目のスタートアップを離脱する決意をしたのを思い出します。

いい組織で泥臭くやれば必ず成長する

こんなことを学ばせてもらったかなと思います。 逆に良くない人が集まっている組織は停滞感が満ち溢れるのが世の常かなと思いました。 組織と人って本当に大事だなと、長く働いている人からすれば当たり前のことに気づけた2015年でした。

eurekaへのJOIN

7月に元Deの同期のOくんの誘いを受けてeurekaのCTOとCEOと面談させていただき、8月からeurekaへJOINしました。 役員犬のジョブさんの直属の部下をやっています(冗談です) 非常に若い組織だし、僕より若いエンジニアたちの学びへの貪欲さ、僕より少しだけ上のエンジニアの方々の圧倒的にできる感じ、刺激的です。 自分も成長しなければという気持ちを駆り立てられるし、社内は非常にフラットで、役員陣とも本当にざっくばらんに話せるなという所感です。 働き始めてもうすでに半年くらいが経過していますが、今は最高に楽しめています。

キャリアについて

キャリアについては色々悩みながら歩んでいくしかないかなと思っていますが、ある程度の方向性は固まってきたかなと思います。 まず前提としてどういうキャリアを歩むにしろ

技術的専門性を磨き続ける必要がある

ことは前提だと思います。 エキスパート方面を目指すのであれば、名だたる世界の大企業、GとかTとかMSとかFとかに入社することができて一線で活躍できるレベルを目指さなくては生存戦略的には間違っているのだろうなと思います。生半可にアルゴリズムを勉強したりするのは自殺行為かと。アルゴリズマーになるためには理論的にしっかりした素地と、それを実践できる場所でのある程度の経験が必要かなと思います。

では僕のような下々の人間はどう生存すればいいのか、 アルゴリズムの深淵に近い部分は(興味を持ちつつも)うまく避けて通るとして...

僕の答えとしては、

エンジニア兼プロダクトオーナーを目指す

ということでした。自分の書いたコードをサービスにある程度打ち込みつつ、パフォチューをして、売上の数字を見て、施策をバカスカ提案していく。 2015年色々場数を踏むことで思ったのは、結局自分がやりたいのは物を作ることだったということです。物を作りたいという確固たる考えがあれば、ものづくりに関係する全ての工程を理解して、全てにコミットしたくなる。(クソ)コードをひたすら本番環境に打ち込んで給料をもらいたいぜと思っていた頃に比べるとそこそこ視野が広がったかとは思います。2016年は一流のエンジニアかつ一流のプロダクトオーナーになれるように精進したいと思っています。

ここ最近感じている違和感

  • ユーザのことをお客様と呼ぶ問題

まとまらない

旅行

写真の整理をしたので旅行記をそのうちアップデートしたいと思います。 2016年はアフリカと中米もしくは中央アジアかな...イギリスも行きたい。 旅行先はまだまだブレブレです。 バックパックを背負えばまだまだバックパッカーの心に戻れるのです。

中島晴矢の個展「ペネローペの境界」を見て

中島晴矢の個展、ペネローペの境界、タイトルのメタファーを理解するのには深い教養が必要であるようだった。 ペネローペはオデュッセウスの妻、夫の留守中に108人もの求婚者が押し寄せるが、彼女は変装等を駆使して貞淑を貫く。彼女は求婚者に対して、自分が織っている織物(死体を包むための織物)が織り上がった時、求婚者のうちから1人を選ぶと宣言する。 ペネローペは昼織った織物を夜になると解くことを繰り返していた。永遠に織り上がらないようにと。絶えまなく繰り返されるが、永遠に終わらないことを望まれているもののメタファーとしての織物。神話では彼女の企みは3年で露見してしまい。彼女は結局の所、求婚者から1人を選ばなければならないことになるが、そこへ夫であるオデュッセウスが帰還する。

当日作品を見ただけではメタファーを理解するのが困難だったが、境界に関する彼の考え方を作品に見ることができた。 その作品とは、「MAPPA」を下敷きにした国旗のシリーズ、融解した各国国旗が描かれた作品である。 一目見るだけで、融解し、絶えず変化する曖昧な境界を強く意識させられる作品だった。日本と中国、アメリカとイラン、フランスとパキスタンの国旗が混ざり合った小作品と、各国国旗が入り乱れて溶け合って描かれた大作品が展示されていた。 底に描かれた融解した国旗は、旗としての機能を失い、ただの色彩と成り果てる。 青は自由、白は平等、赤は博愛、神聖さを司る緑、太陽の赤、共産主義の赤、星々が表す独立性、陰陽、太極、各々の色に込められた意味は、色を知覚する観察者の立ち位置によって大きく変化する。

色彩の違いは境界線を生み出す。意図せずとも、知覚の本質的な機能として、境界は明確に意識される。私達の知覚が色彩の境界線を超えると、その背後では色彩の意味合いが転換されている。今私は赤の中にいる。私は日の丸の赤の下にいるのか、五星紅旗の赤のもとにいるのか。旗としての意味合いを意識する度に、自分の立ち位置がぐらつくのを感じる。

観察をする私は、一体全体この作品の中のどこに立っているのだろうか。どこを泳いでいるのか。私の周りの色彩の意味合いは、どの意味合いなのだろうか。きっとそれは私が決めなければいけない。強い明確な意志はなくてもよい、ただだそこに存在する以上は、どこかで色彩の意味を決めなければいけない。 意味合いを曖昧なままにすることは思考停止になる。ある意味で生を放棄することになるのだ。

作品に描かれているのは、絶え間なく変化する状態の一時のスナップショットであるから、実際は境界は常に揺らめいている。いまこの瞬間、私はどの境界の内側にいるのだろうか。私は赤に囲まれている。私が生まれ育った日本の、国旗である日の丸の赤だ、しかし、私が知らない、私が意識していないだけで、遠目にみればそれは星条旗の赤い部分であるかもしれない。日の丸だと思って赤と白を眺めていたら、実はそれは星条旗の一部分かもしれないのだ。赤い部分を遠く遠く歩いて行くと、いつの間にか黄色い部分が生じていて、気づいたらそこは五星紅旗かもしれないのだ。今この瞬間にどの境界の中にいるかを知覚することはできないから、意味を決めようともがいても結局はどこにいるか明確に定まるわけではないのだ。色合いの意味を定めようとすると、再現のない誤りにつながってしまうのだ。

ただ社畜として暮らしていると忘れがちであるが、 そういうことを強く意識させられる。嫌でも意識させられる。

「現代は、無数のレヴェルで境界線が引かれ、ほどかれ、また引き直され……という永久運動にさらされています。その上で、様々に偏在する「ペネローペの境界」を、多元的に提示する——それが本個展のテーマです。」

私達が生まれたのと同じ時期に、国旗が整然と並べられている(かのように)、もしくはイデオロギーごとに色が明確に定まっている(かのように)地図はガラガラと崩壊した。こういう書き方が陳腐であることは認識しつつも、思想や成長モデルに縛られた地図はドロドロに溶けてしまった。溶け始めは笑ってみていられたけれど,テクノロジーの進歩によって、融解が実際の生に影響し始めた時に、切実なものとして境界線のゆらめきが顕在化した。 社会の中に生きること=知覚することは、個々人に絶え間ない境界線の引き直しを要求する。 境界線の引き直しには大きなエネルギーが必要だ。私達はそれほど強くないから、そういった引き直しを諦めたくなる、思考停止をしがちになる。薄くとも何かの思想に寄りかかりながら、時には他人の話に寄りかかりながら、変化する境界を自覚しつつも、偽物の仮初めの硬い境界をこしらえて、その中で生きていこうとする。自分の現在位置を確立するために必要な操作だ。そうだ、自分の周りは鮮やかな赤なのだ、そうさ、自分の周りは誇りに満ち溢れているのだ、と。 時たま、それが仮初めのものであることを自覚させられる。私達の知覚に揺さぶりをかける何か、例えば今回展示されていたような美術作品、影響力の大きな発言、巨大な事件、時折、私達はそういう目覚めの契機に遭遇する。 その度に、私達はグロテスクに変化する境界線、活き活きと変化する境界を目にすることになる。そしてそれを捉え直す。捉え直された境界はまた融解し、認識の彼方へと消える。局所的な色は分かるが、大局的な位置は判らない。常に不安だ。

テクノロジーによる情報伝達速度の刷新により、大局的な整然とした地図の中に生きられる時代はおそらくもう二度と訪れない。私達が荒廃を望まない限りは、文明荒廃後の世界まで、二度と。この時代を生きていくために、絶え間ない境界の変化に対して、私達は仮初めの、偽りの境界を築いては壊し、築いては壊しを繰り返さなければならない。そして自分の現在位置の確認のため、終わりない/絶え間ない変化に仮初めの境界を作り出すための文脈と設定を求めて生きていくしかない。 それへの欲求を封じ込めることは、現在位置を捨てること、ある意味で生を放棄することにつながるのだから。

融解した国旗を描くのは非常にシンボリックだった。実世界ではありとあらゆる箇所で、こういう融解が起こっているのだ。楽しみながら生きていくしかないのだ。

3,4回中島晴矢の個展を見させてもらって、「同級生の中島晴矢の個展を見に行く」という行為が「中島晴矢の個展を見に行く」行為に変わった。 これからも彼の作品を楽しみに生きていきたい。

六本木で日々安く昼飯を済ますための方法-かけだし編(1)-

六本木は色々と高い

プログラマー@倒壊すべきヒカリエからしがないスタートアッパー@六本木に転身したわけですが、いかんせん飯が高い...なんとも言えないくらい高い。昼でも600円から〜みたいな相場感はいまのしがない身分にはしんどいですね。かといって毎日カップラーメンってのも大分アレです。

食事の楽しみを失ってしまったら人間としてまともに生存できない
⇔
もそもそカロリーを貪るだけの動物に成り下がる

ということで、動物化しないためにも食事に楽しさを見出すために奮闘中です。 (*)単純に引っ越しが6月に迫っているのにオカネナイ状態で節約を強いられているというのもあります。

方法論(1) 安い店を探す

チェーン店

  • すき家 ヒルズ側からはちと遠い
  • 松屋 ミッドタウン脇=ヒルズ側からはちと遠い
  • 富士そば 六本木交差点側 ミニヒレカツ丼セット 550円はなかなかコスパが良い
  • サブウェイ(@六本木ヒルズ地下)  日替りセット500円+サブウェイクラブカードは割りとコスパ良さそう
  • sakura食堂(@六本木ヒルズ地下) 450円で小さめの弁当を売っているのを見かけた
  • ディキシー デリ おかずだけも頼める(らしいがまだトライしてない)

カレー屋めぐりは別途やっていますが、チェーン店に頼ると400~500円前後はかかってしまいそう

方法論(2) 白米を持参する

ファミリーマートだのローソンだのは潤沢にあるので白米を持参すれば割りと豪華な昼飯が食べられるのでは? ということでコンビニ惣菜に手を出すことに 今日買ったのはファミリーマートコレクション

www.family.co.jp

  • たけのこ煮
  • 豆とひじきのサラダ

をゲットしました。約260円 米を持参することでありとあらゆるものがおかずになる。

http://file.kli0420.blog.shinobi.jp/tachiagattekuru.jpg
まさにこんな感じですね。 コンビニ飯以外にも惣菜売り場がないかチェックしていこうと思います。

コスパ追求を楽しむための方法論

ダイエットの食事制限でもそうなんですが、これ以上は土下座しても食べることができないと考えると楽しく食事制限を続けることができる気がします。

例えば、雪山の登頂を目指していて、7日間である決まった量のものしか食べることができないとか 例えば、バックパッカー旅行中で食費を切り詰めないと帰るための交通費がなくなってしまうとか

追い込まれてるのを想像すると日々楽しくなりますね。

AirBnBとかで外国人泊めた時に、彼らに米を提供すればかなりコスパの良い(かつローカルフードにトライできる)食事を案内できるんじゃないかと思いました。3ドルで飯を済ませられるってなかなか良い。 ただし温かいご飯でなくて冷や飯なのが難点ですね。

今日は紙コップで食事するっていう原始人みたいなことをしていたので、適宜アウトドアグッズを使って美味しく惣菜が食べられるようにトライしていきたいです。

ディスコファンクだったりポップだったり、ヘッドホン耳に踊りたいのさ 2015のプレイリストその1

SoundCloudで音楽をDigすることも多くなってきた。
スネオヘアーが一曲一曲大事に聞いてあげてくださいね。と言っていたのを思い出しながら、
大量の音楽情報に流されないためにも、今年=2015年は定期的にプレイリストを作って自分の完成をまとめておこうと思っている。
とりあえず、今年を2週間生きてみて、良いなと思った音楽たちを思った音楽たち

1曲目におかせてもらったDino SoccioのD'AngeloのREMIXはかなり刺りました。他の楽曲もなかなかに素晴らしかったので最近は彼の曲ばかり聞いています。
French Kiwi Juiceは前から知っていたんですが、フランス人なりのおしゃれ感というか、Alice Russelの曲をここまでメロウでクラブ向けの曲に変えてしまうんだ..と関心。原曲もかなりいいですが、こういうREMIXはREMIX好きのテンションをバク上げしてくれます。

7曲目くらいから日本の(Maltine界隈とかの)方々を入れています。
ディスコファンク/ソウルフルでメロウな世界と日本のネットレーベル界隈(歌もの)の間に挟ませてもらったのが
FirewoodIsland、Celtic Viking を自称し、Norway出身でロンドンで活躍中のバンドです。

中盤少しパキパキした後に、またdopeでソウルフルな世界に帰りたいと思ってEric LauやTom Mischを入れています。Tom Mischはロンドンの19才、NEUSもパリで活躍中の同い年MatomaはNorwayの23才...なんだか音楽で活躍する世代が同世代や年下になっていくと自分がおっさんになっている感じがしますね。
SoundCloudを巡回しているとNorwayの方を結構見かけるのですが、彼らは普段どこを拠点に活動しているんですかね。ヨーロッパだからベルリンとかロンドンとかにはカジュアルにDJしにいったりするんでしょうか。

ちなみに毛色が違うのでプレイリストに入れませんでしたが、日本語ラップではdizzleanさんをヘビーに聴き込もうかなと思っています。

死んでも、頑張らない。リリックが素晴らしい。