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MasashiSalvador(在日東京人) / 茶道 / 音楽/ 映画/ 雑記

総選挙だったね/プレモダンダンディーたち

今日はみんなの大好きな総選挙だったようで。
昔は選挙に行かないやつは糞だと思っていたけれど、今はそんな気を吐く気力もない。
というか、自分のそんな気を吐く資格が無い。
忙しくて政治の情報などゲットできないし、ハテブやらgoogle newsやらで暗いニュースを見るたびにアブちゃんは早く死なないかな
などと夢想するだけだ。
住所に縛られた現在の選挙システムは明らかにおかしいと思う。ネットで投票したいなどと思いながらも、渋々家から遠い投票所へ向かう。
日本円が暴落しないかと思いながら、雀の涙のような給料をユーロに変換し、それでも
リフレ派が蔓延るアブ政権が存続するのは世の中のためにならないだろうななどと夢想する。

森達也さんがポリタスに書かれている記事には強く共感する。

【総選挙2014】もう投票しなくていい(森達也) |ポリタス 「総選挙」から考える日本の未来

首相官邸のウェブサイトからリンクできる教育改革国民会議の議事要旨には、「子供を厳しく飼いならす」との記述がある。「警察OBを学校に常駐させる」とか「団地やマンションには床の間を作らせる」「学校に畳の部屋を作る」などの項目も並んでいる。行政に対しては、「『ここで時代が変わった』『変わらないと日本が滅びる』というようなことをアナウンスし、ショック療法を行う」との記述もある。

プレモダンダンディたちは、この国を最高の状態に持って行こうとしている。愛国!安全!統制のとれた世の中!、明治維新以降、モダンとポストモダンと戦ってきた知識人や文化人をあざ笑うかのように、
「お前たちはこれまで一度もモダンの果実を獲得したことはなかったんだよ。戦っていたはずの相手は居なかったんだよ。だからほら、ダダを捏ねずにプレモダンの美しい世界に帰ろう。そこにはほら、危ないものは何一つない、世界の真ん中で煌々と輝く陽のもとに戻ろう。それが君の幸せなんだ」
と語っている。

結局のところ、学級会を続けていたら、学級全体がジャイアンに乗っ取られてしまったという風だ。しかもそのジャイアンが、知的な層に支持されていればいいが、結局は彼を支配しているのは自分の弱さを、政治やら他国に向けることでしか解消できない「可哀想」な層だ。
愛国やら安全やらで、ピカピカに磨かれた言葉を振りかざして、自分が弱いことの原因を国の弱さになすりつける。国を弱くする要因である多様な意見に牙を向く。「可哀想」な層たちが彼らの描く「美しい国」の妄想をやめることもないだろうし、その内容が変質することもないだろう。
彼らは一様な意見に触れ続け、他のありとあらゆるものに牙を向いていく。
おそらく彼ら個人個人は特定の者に対して大きな怨恨を持つものではないだろう。
彼らの総体を生み出したのは、この国の空気感だ、この国の仕組みだ、この国がモダンの果実をゴミ箱に投げ入れてしまった結果だ。

それを生み出したのは、長きに渡りモダンに栄養を与えなかった我々なのだから。
こうなれば徹底的にプレモダンであることを自覚させて欲しい。
近代なんてなかった、ポストモダンはもちろん存在しなかった。

制度の不備や、物理的な国力の不備を、リソースが無限大である精神力でカバーするあの美しい国へ、
僕らを導いてくれ、プレモダンダンディーたち。

政治が変わっても、決して変わらないものがある。
それは僕らが受け継いできた失われゆく伝統だ。
プレモダンダンディの代表、アブちゃんがインドの偉い人と茶道を楽しんだ時の画像を見てみよう。
https://pbs.twimg.com/media/Bwg9-F3CEAALVs6.jpg
美しい国」の文化の一つとして、茶道をうまく利用したつもりだったんだろうけど、
手の組み方から含めて、汚ないったらありゃしない。
本当に私達の文化を愛しているならば、(そもそも代表的文化である)茶道の客の作法ぐらい知っていると思うのだが。
プレモダンの頃には、茶道はなかったらしい。最高だね。

プレモダンダンディたちは、私達の伝統に興味が無いようだから、
逆にこれを、私達だけのものとして育てていくことができる。
彼らは私達の文化のなんであるかを知らない、詳しく知らない、だから多分、自由に発展しても気づかないだろう。

そういうところにしか、希望はないんですかね。
憲法が改正されたら「可哀想な」層には真っ先に戦争に行ってもらおう。彼らの大好きな魚釣島や、トンヘで戦ってもらおう。
職も手に入るし、給料もいいだろう、国を守るかっこいい奴らならモテるだろう、結婚もできる。

お幸せに。

ドラえもん STAND BY ME

ドラえもん STAND BY MEを見た。
3Dならではの表現があったことはだいぶ肯定できるけれど、これで泣くオトナはどうなんだと正直思ってしまった。
原作の方が自分は好きだ。マンガとアニメと劇場版をひっくるめたドラえもんというコンテキストの中で
「帰ってきたドラえもん」だの「のび太の結婚前夜」だのの作品があって初めて感動できるわけで、
今回のドラえもんSTAND BY MEはそういうコンテキストを全部短い尺の中に入れこもうとしすぎたせいで非常にいびつな作人になっている気がするのだ。それに、オトナに対するお涙ちょうだい的な王道ストーリーに乗せてしまったことで、
野比のび太のだめ人間っぷりが浮き彫りになってしまって非常に辛い。

ダメ人間も人の幸せを願える(美しい)心さえ持っていれば幸せになれる。現に野比のび太は、失敗したり泣き叫んだりしたりしながらも
美人の奥さんと結婚して幸せそうに生きている(し、行きていける)ではないか

そういう「ダメなアナタでも幸せに生きることができるんだよ」と言ったメッセージが強く押し出されているように思えて、そこが自分には刺さらなかった。

Facebookを見るとなんだかコレをみて泣いている人が結構いるようで不思議である。

そもそも原作の面白さって何だったんだろうなと考えてしまう。

結構泣けるなあと思ったのは、のび太が雪山にしずかちゃんを助けに来るクルマがTOYOTA車であったことと、
未来の街が街中TOYOTA車だらけになっていたことである(Panasonicの看板がそこかしこにあるのもまあソレはソレで)

継続こそが才能なのか

社2病を発病したかのように4月中旬からのやる気のなさが目立つ。
やる気のないときはインプットもアウトプットも少なくなって。
ただ食って寝てを繰り返すケモノのように成り果てるのだ。

日々仕事にすり減らされると本を読む時間もなくて、
いざ本を読もうと思ってもどうしても他のことに気を取られて読み出せず。
残りページ数を気にしないで読んでいる本がない。

この状態は非常に危機的である。

とりあえず最近の日課としては、ディスクガイドをみながらYoutubeを探索し、80sのファンクを聞きあさる。
1週間くらい読み終えられていないが、同時に植村直己の北極圏探検紀を呼んでいる。
片や大都会を彷彿させる、アーバン黎明期のファンク、
片や装備も不十分な中で極寒の地を旅する探検家
コントラストで自分を揺さぶりながら、どうしようもない日常を耐え抜こうとしているのか。


ここでないどこかへ行くことは多分可能だけれど、まだ先の話だ。
今は雌伏のときと信じて。

未開な死生観、免罪符を買うしかない

久しぶりの日記である。
はてなブログが使いやすくなっていて若干とまどっている。
最近はもっぱら本はkindleで買うことにしていて、積ん読になっている紙の本を処理するのに勤しんでいる。

世界がわかる宗教社会学入門 (ちくま文庫)

世界がわかる宗教社会学入門 (ちくま文庫)

今日は病院に行くついでにこいつを読みふけった。
240pくらいしかないし、平易な文章で書かれているのでさくっと読める。
アルメニアやイランなど宗教の力の強い地域を旅行するのは非常に刺激的なのだが、祈りの場において祈る人たちが何を祈っているのか、何に祈っているのか、イマイチピンとこないことが多く、セマナサンタやガネーシャの山車が町を行き来するのを見物しながら、自分がどうしようもなく外様に属していることを気づかされることが多々あった。

本書は、日本人は宗教音痴であり、それが典型的に現れているのが、何となく死後の世界があり、死んだらそこに行くのだろうと安直に考えてしまう点、安直な死生観に現れていると指摘する。葬式のときに仏教が現れるが、仏教における輪廻の概念に照らし合わせるとこの「何となく」の死生観は滑稽なものである。
復活を信じることも、死後の世界自体を否定する合理性も持っていない、ある種素朴な死生観を、我々日本人は持ち続けてきているようだ。
そもそも、葬式に仏教が登場するのが日本特有の事象であることを、本書を通じて知った。中国の仏教や、南アジアの上座部仏教では出家後の者が葬式業務を行うことはまずないという。日本の場合、江戸時代に宗門改めが行われ、各派の仏教が信者を増やすことができなくなった結果として、葬式仏教や生臭業務が盛んになったのだとか。幕府が仏教を堕落させる目的を持って宗門改めの施策を打ったとは知らなかった。

キリスト教についての記述、特に宗教改革周りと、仏教徒の比較については大変ためになった。
面白くて思わず笑ってしまったのは下記の引用である。免罪符の販売が強行されていた頃、ヨハン=テッツェルという修道士が語った言葉らしい。

<<お前たちは、紙と聖ペテロが呼んでいなさるのが聞こえないのか。お前たちの霊魂とお前たちの死んだ親しい者の救いのことを思わないのか。・・・・・・そもそもお金が箱の中でちゃりんと音を縦さえすれば、キリストの母マリアを犯しても許されるのだ。>>(「キリスト教史」Ⅱ:40)

ちょっと何言ってるかわからない感じですが...。しかし、ルターが免罪符に反対したのが、教会の金儲け主義に反対したからではないというの初めて知りました。教会=ローマ教皇に神の代わりに人間を救済する権限があるのなら、免罪符の発行は許容されるという立場だったようです。
免罪符に反対した理由はむしろ、そもそも聖書のどこにも教会がそういう行為で神の代わりに救済を担うということが記されていないという点にあるようです。聖書に回帰する運動が宗教改革なので、確かにこういう意味で反対したという方が中っていそうです。

また、聖書中でイエスの説法を聞いた民衆が「イエスが権威ある者のように話すのでおどろいた」のは、「権威ある」=「いばって」=「さも、自分が正しいかのように」という意味ではなく「権威あるもの」=「神を代弁するかのように」という意味であることを知り、理解が違ったことを認識しました。英語のauthority=権威というのは神由来のものを指すのでこういう意味になるとか。日本語にはない意味合いですね。

最後の章の「尊王攘夷論」に関してはまだ飲み込めていない部分も多いですが、各宗教とその宗教と共にある社会についてコンパクトにまとまっていて楽しめる本でした。

古代檜の風呂に入って感じた清らかさについて

秋の始まり(夏の終わりとは敢えて言わない)に、湯河原の温泉に行ってきた。
台風が来ると言われていたが、行ってみると快晴、夜に台風が熱帯低気圧?に変化したと聞いて一安心、夜は檜風呂が男湯ということで、食事からだいぶ時間が過ぎ、人ももういないだろうと思われる時間に風呂へと向かう。

選択というか読みは正解で、檜風呂は僕一人、貸切状態だった。
風呂を見る前はあまり期待してなかった。風呂桶が檜というのは他の温泉地でも見たことがある気がするし、その時も対して感動した覚えはないからだ。

参考 湯楽自慢の源泉掛け流し温泉 | 湯河原温泉旅館 源泉かけ流しの湯 オーベルジュ湯楽ここの檜風呂です。

ガラガラとガラス戸を開いて内部へ、いい香りが立ち込める。なかなかやるなと思った。
香りが空間全体を規定している。淡い電球の光が檜の風呂桶を照らし、チョロチョロと源泉が流れこむ音だけが響き渡る。とりあえず体を洗い、風呂へ、この時は長風呂なんてする気はなかった。

入る。ぬるいけれど、ちょうどいい温度。
貸切状態の風呂で、足を思い切り伸ばす。寄りかかると、距離が近くなったからか香りが強くなる

二千年の古木に囲まれた人肌くらいの温度の湯に、古木の成分が染み渡り柔らかく体を包み込む。空間になる音は水の音だけ、僕が入ると、風呂桶から僕の体を満たす分だけ湯が追い出され、その音が響き渡る。淡い光と良い香り、空間全体に調和があった。静けさと清らかさを全身に感じると、日々の考えはもちろん、その時頭に浮かんだ物事もどこかへ溶けていってしまうような感じだった。清らかさは不要なものの存在を許さないんだなと感じた。体も心も何処かへ溶けてしまい、檜がかつて住んでいた深山幽谷の地へと飛ばされていくようだった。

普段長風呂をしない僕が珍しく長風呂をしたのは、そんな調和と清らかさのせいだと思う。
それに一役買っていたのは明らかに古代檜だ。なぜなら、それは人間のモノサシで図れる時間を超える圧倒的な自然だからだ。年月を超えた古い自然に値してある種の畏敬の念を抱き、無駄なものを廃した清らかさとともにそれと調和するときに生まれる美は、日本人の琴線に触れる独特の美しさであるように思える。今回の檜風呂に関していえば、他のものがどんなに高級であろうと(例えば中東のハマムのように)自然の要素がなければ(それだと檜風呂ではないのだが9僕が長風呂をすることはなかっただろうなと。
清らかさの中にいると、不要な考えは廃されて、最小の考えだけが頭に浮かぶ用になり、感覚が研ぎ澄まされる。調和を乱す行動はひどくしづらくなる。例えば、風呂桶の中で思う存分動いたりすることは、水面に不要な波を立てるので、積極的に行いたくはなくなる。ただじっと、自分が調和の中にいることを感じつづける。調和が乱されない限り、それはなんとも言えない心地よさを生み出し、時には時間のモノサシを狂わせる。狂わせるというよりは、調和がもっているある種の絶対的に善いモノサシの状態にリセットさせようという力が働くんじゃないだろうか。それで、僕らはそれを癒やしと感じる。普段のモノサシはひどく規則的で、生活の中でそれをズラさないことが良しとされる。清らかな調和の中にいることで、そんな状態になったモノサシが開放されて、都度調和状態になればいいのだと、感じさせる。

と思うと、節目に神社に行ったりするのもなんとなくそのためにやっている感がある。年末年始のリセットはともかく、例えば合格祈願だって、祈るときに何らかのリセットが行われるのだ。神を信じるとか信じないとかではなく、清らかさの中に少しでもいることで、リセットするために神社に行くのだ。

茶道における和敬清寂、その清の意味を、今回少しわかれたように思う。
空間と調和を作り出す。そういう文化を、これからも愛していきたいし、受け継いでいきたいなと
ふと、風呂桶を出るときに思った。

以上、レポっす!!

エスファハン その3 週末を舐めていたら脱出できなくなったでござるの巻

休日はみんな旅行に行くのである

この日は色々と大失敗の日であった。昼前まで惰眠を貪り、もそもそと朝飯を終える。
イラン航空のウェブサイトでAhwazへの航空券を調べ、安いことだけ確認する(クレジットカードが使えないのでその辺のホテルに行かないと買えない)Yazdが夜行で行くには近すぎるので、夜行はパスして昼の便で行こうと思っていた。乗り合いタクシーで北バスターミナル(エスファハンには4つもバスターミナルがある)まで向かい、ヤズド行きのバスを探す。しかし、どの会社に聞いてもチケットが売り切れていてないとのこと...今日は金曜日、週末だ...しかし売り切れているなんてことはないだろうと思い歩きまわる。ドイツ人の女の子とその友だちのイラン人も同じ案件で困っていた「彼女のバスが無くて困ってるんだ」「おれもヤズド行きを買いたいんだけど、ないらしいんだ。キャンセル待ちできないかな?」「キャンセル待ちは機能していないらしいよ」あーこれは面倒だ。イラン人はいいやつが多いがこの人に色々と頼むのも悪いので引き下がることに...
そうだ、鉄道があるじゃないか!!
とりあえず町の中央に鉄道オフィスがあるので鉄道オフィスへ、しかし、閉まっている。金曜は小5までしか空いていないらしい...クソ、近場の旅行会社もみんな閉まっている。こうなればヤケクソで駅まで行ってみよう。タクシーを捕まえて乗り込む。「駅に行ってくれ」「駅?何処へ行くんだ?」英語の出来るタクシードライバーだった。「ヤズドだ、バスが売り切れてるんだ」「ヤズド行きは東の方が多いから駅の前にそっちに連れて行ってやる」チップを取られそうだがとりあえず従うことに、しかし、東バスターミナルでもバスは売り切れ。前に乗り合いタクシーが停まっている。「乗り合いタクシーならバスの4倍くらいで行けるぞ、どうする?」「鉄道のチケットがないか聞いてみてくれ」タクシードライバーが電話をかける。嫌な予感がする。「今日は電車はないらしいぞ」なぬう。しかし乗り合いタクシーは乗り継ぎが必要+満席になるまで出発しないので気乗りしない。

仕方ないので、エスファハンでもう一泊することにした。朝5:00のバスチケットを買い、ヤズドを日帰り観光に切り替える。

絨毯屋

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タクシーをチャーターすることにして、あちこち回ることに。見どころはほとんど見てしまっていたので、残りを拾う感じ。

共鳴するミナーレ

閉まる時間だったが、併設するチャイハーネの主人とタクシードライバーが知り合いなので裏から潜入できた。
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大きさはたいしたことないが、片方のミナーレを鳴らすともう片方が共鳴するとか。チャイハーネで久々にコーヒーを飲み休憩する。
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タクシー

イランは公式のタクシーと白タクの区別がないので面白い。
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ゾロアスター教神殿

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ピクニックをしているイラン人一家と写真を撮る。週末は野外で団欒している家族が多かった。寒いけど。遺跡の周りでピクニックというのも乙なものです。
花畑
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エスファハンの夜景

ケーブルカーの周りはデートスポットになってました。イラン人カップルはケーブルカーで二人っきりになった時に色々するのでしょう。
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タクシードライバーとの会話

「タイに行ったことはあるか?」「あるけど」「タイは色々なものが安いし、この世の天国だ。俺はタイに2人のガールフレンドがいる。エスファハンにも1人居る。結婚して妻も子供もいるが、一年に一回タイに行くのが楽しみで楽しみでな。イランの女達はどうだ?」「綺麗な人が多いね。硬そうだけど」「そんなことはない。話しかけてみろ、それで部屋に連れ込んでセックスしてもノー・プロブレムだ」おいおい...「俺はタイに居るレディーボーイも大好きだ。あいつらとのセックスは最高だ」

エスファハン その2  古都巡り、京都とは又違う、

古都滞在

エスファハンでダラダラすることに決めていたのでダラダラする。エマーム広場には延々と居続けてもいいと思ったし、古都の空気感は少し滞在しないと分からないというのもある。時の重みを吸い取ったゆっくりとした空気が流れているからだ。京都然り、古都というのは不思議なチカラを持っていると思う。

アルメニア人自治区

エスファハンで信仰を守ってきたアルメニア人の自治区、今はアルメニア人の人口は減っているらしい。反イスラム的とされるネクタイをした神父とかを見かけた、頑張ると酒も買えるらしい。
ベツレヘム教会
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ヴァーンク教会
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小さな十字架が付いている。

庭園

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ペルシア式庭園は世界遺産なのだが、冬は残念な感じ、バラの咲く季節に来たい。
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マスジェデ・ジャーメ

長い長いバーザールを抜けるとマスジェデ・ジャーメなどがある。金曜のお祈りの時間には祈る人で満ち溢れるんだろう。
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その他モスク

高いミナーレ、ここはよくわからない位置にあるので迷っていたらその辺のイラン人が助けてくれた。「あそこ迷う人おおいんだよね、よく聞かれるよ笑」とのこと。
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葬式みたいのやっててバツが悪かったので逃げ出した。子どもたちに絡まれ、「ホンダ、カガワ」とか言われた。少年たちはどの国もサッカーが好きみたいね。イランはバレーも盛んみたいだけど。

ハマーム

あんまたいしたことないけれど、昔の共同浴場が残っている。よくできているなーというか、プールみたいに結構深い湯に浸かるんだなという感想。
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これは昔のイランの国章だとか、王家の紋章

思い出

この日は昨日ポストカードを投函する際にモレスキンを置き忘れており、非常に焦った。現金分散の一環でモレスキンのポケットに€200入れていたんですよね。現金がなくなること自体は貧しくなるだけなのでいいんだけれど、旅の日記とかつけているノートなのでなくなると悲しい。ということで取りに行ったんだけど、英語のわかる職員が居なくて容量を得ない。探していたらエスファハンで開催している映画祭の関係者?かなにかのパリの大学で哲学を嘗て選考していたモハンマド君に出会い、助けてもらいました。あまり英語喋れてなかったけど、フランス語はペラペラでした。3時間くらいノート探しに付き合ってもらったので非常に助かりました。なんというか...いい人たち多いなと。ついでに彼のおじさんが職人らしいので工房を見せてもらったり。ありがとう!!